かりんが亡くなって、自分でもびっくりするほど予想以上にロスが酷くて病院に最後の日の支払いも行けない状態。
必要最低限の買物と仕事以外はほとんど引き籠り。
何処を見てもかりんとの思い出があり、かりんの事を知ってる人に会うと説明しないといけないから誰とも会いたくなくて…(-。-;
まだ会った人に説明する時に泣かないで説明出来ない状態なのでね。
病院に行かなくちゃと思うと胸が苦しくなりバクバクしてきちゃう。
あの空間に一人で行く勇気が出ない・・・
せりかママにはメールで色々伝えておいた。
R先生もまだ計算してない様だった・・・
それに甘え、しばらく行けないままを過ごしていた。
おとやんも仕事が忙しくなかなか休めないし、ポジティブ思考のはずのおとやんもかりんの死は相当なダメージの様でなかなか病院に行けないみたいだった。
25日、やっとおとやんが午後休を取れたので病院に行く事にした。
R先生にも最後の日の説明を聞かないと前向きに考える為のスタートラインにも立てなかった。
本当は連絡してから行くつもりだったけど、そのまま午後診療時間に病院に到着。
R先生が最後の輸血前の血検の結果とコメントを書いた紙を渡してくれて、説明を丁寧にしてくれた。
最後に輸血で可能性にかけた事、結果的にかりんは亡くなったので先生もあの時に家に帰せば良かったか?とずっと考えてしまったようです。
この判断は獣医師として何回も経験しているけど、毎回悩むところらしい。
実際、私達の面会の直前にお話ししてた方達は数日前にワンコが亡くなった飼主さんで、最後、酸素室に居れば1~2日は生きられただろうと思ったけど、飼主さんにお帰しし、家族の方皆で看取る事ができたようです。
1日でも長く生かしたいと思う飼主さんもいるし、難しい選択だよね・・・
カルテを見せていただきながら輸血の状態やかりんの状態を説明してくれた。
数十分おきのチェックがカルテにビッシリ書いてあった。
尿道カテーテルも入れて、尿色を確認しながら心拍数・呼吸様式・体温など状態をチェックしつつ輸血をしていたとの事。
かりん、急変する15分位前(午前8時40分)まで順調だったらしい・・・(涙)
8時55分のチェックの時に新しい輸血のパックを用意して持っていくと急変したって。
急いで酸素室から手術室に移動して蘇生処置をしながら我が家に連絡をしてくれたみたい。
午前5時40分頃は輸血の効果で粘膜の色もピンクになってきて、先生にも呼ぶように吠えたって。
この時が一番この一晩の中で状態が良かったみたいです。
外部に出していた嫌気細菌の結果は陰性。
かりんの体には特に悪さをする細菌は無かったという事らしい。
解剖をしていないので確定判断はできないけど、
最終的には膵炎の影響で溶血性貧血が悪化し、循環機能の低下から血液の不足がおき加速度的な腎機能の悪化で亡くなったのではないかとの事だった。
私も最後はきっと多臓器不全になっていたのだろうと思っていた。
溶血性貧血の後明るい兆しが見えてきたけど、やはり溶血性貧血のダメージは大きかったと私も感じてた。
ただね、最後の血液検査も少量の採血に抑えたから色々とは検査できなかったけど、電解質の数値とかは正常値のものもあるし、かりんを見ている状態よりも悪い数値ではなく、助かる可能性を秘めていた。
腎機能も末期の腎不全状態の子に比べたらまだぜんぜん大丈夫な数値だったと・・・
だから、R先生も私達飼い主と同じレベルで最後まで諦めずに一緒に闘ってくれた。
最後に諦めて家に連れて帰ればと後悔もしたけど、あの時に助かる可能性を秘めていた状況で治療を止めて家に連れて帰っていたら?と考えた時にそれはまた後悔になっていたと思う。
やはり、R先生にお任せして良かった。
ぷりうらから16年以上お世話になってるのは間違いが無かったと改めて思った。
もしかしたら、MRIやCTなどを撮り、全身くまなく検査したら本当の病気が他に隠れていたのかもしれない?と思ったりもしてます。
もう少し一気に襲って来なければかりんは頑張れたかもしれません。
かりん、本当に最後まで頑張ってたんだなぁ~
というのが解り、余計に膵炎が憎い!!
ある意味、かりんはかりんらしくお婆ちゃんぽく見えないまま旅立ったのかもしれない。
連休でおとやんも私も揃っている日を選んだのかも・・・
出産の時もそうだったよねぇ~
良く飼主でも見てない時に出産するとか聞いた事あったけど、かりんは私だけじゃなくおとやんまで呼んでこれから産むんだから一緒に居ろと言った。
子育ても他の母性の強い母犬ちゃんは飼主にも触らせないようにしたとか聞いたけど、かりんは私にもおとやんにも子育てを一緒にしろと言った。
いつも私やおとやんの間に居たかりん。
一人っ子時代があったからかもだけど、飼主と遊ぶのが大好きだった。
いつまでも若々しいままだった。溶血性貧血になる直前までお庭でボール遊びもしてた。
だからこんなに短期間で居なくなるなんて思えなくて心が全くついて行かないよ。
R先生の説明を聞いて支払いを済ませキャリーバッグを受け取って家に帰宅したら、ミニかりん全員がキャリーバッグに顔を突っ込み匂いを嗅いでた。
そして、かのんが久々にお尻を丸めてリビングを走り回った・・・・
まるでかりんが私達と一緒に帰宅したかのようだった。
かのん、見えるタイプだから見えてたのかな?
かりんが具合悪くなってからお尻丸めて走り回る事が無かったのに・・・
そうそう、かりん!
かのんにいつ教えたの?
かりんが亡くなってから火葬するまでの間、かのんはかりんが寝ている隣で守り神の様にしていたの。
かりんがまだ生きてる最期の4ワンでの写真
かのんはかりんの所に寝てるでしょ?(笑)
ぷりうらが亡くなった時に、かりんが同じ様にぷりうらの亡骸の守り神をしてたんだ。
ミニかりんが近付くとガルル~って怒って近付かせなかった位。
それをかのんが受け継いでたよ。
亡くなる前もかりんが闘病している隣に寄り添って守り神してたよね?(↑写真)
やはり、かりんがかのんをナンバー2と思っていたのか?かのんに対しての躾や態度が他の2ワンに対してと違っていたの。
生前かりんは『私の後はあなたがボスだ』とかのんに言って躾けてたのかな?
まだまだダメダメ飼主で毎日の様にかりんに逢いたいと言って泣いちゃう状態だけど。
これから少しずつ、かりんを最初に思い浮かべて出掛ける場所を決めていた脳をミニかりんにシフトしていかないといけないね。
きっとかりんにはまた逢えるから・・・
また14年前のように『やっと逢えた』と思う時が来るから・・・
絶対にみつけるよ!
かりんが頑張って産んで育てたミニかりんと毎日を大切に生きていくからぷりうらと一緒に見守っててね。
かりんの楽しそうな好奇心旺盛な笑顔が大好きだったよ。
この笑顔を見たくていつもお出掛けしてた。
またね…
う~まだ苦しい・・・
分離不安になってるのはかりんではなく、私自身なんだとつくづく思い知らされてます。
記録を書くのに大泣きながら書いたよ(^^ゞ
いっぱい頑張ったかりんをどうか皆さん褒めてあげて下さいm(__)m
そして皆さん、今まで心配と応援をしていただいて本当にありがとうございましたm(_ _)m
必要最低限の買物と仕事以外はほとんど引き籠り。
何処を見てもかりんとの思い出があり、かりんの事を知ってる人に会うと説明しないといけないから誰とも会いたくなくて…(-。-;
まだ会った人に説明する時に泣かないで説明出来ない状態なのでね。
病院に行かなくちゃと思うと胸が苦しくなりバクバクしてきちゃう。
あの空間に一人で行く勇気が出ない・・・
せりかママにはメールで色々伝えておいた。
R先生もまだ計算してない様だった・・・
それに甘え、しばらく行けないままを過ごしていた。
おとやんも仕事が忙しくなかなか休めないし、ポジティブ思考のはずのおとやんもかりんの死は相当なダメージの様でなかなか病院に行けないみたいだった。
25日、やっとおとやんが午後休を取れたので病院に行く事にした。
R先生にも最後の日の説明を聞かないと前向きに考える為のスタートラインにも立てなかった。
本当は連絡してから行くつもりだったけど、そのまま午後診療時間に病院に到着。
R先生が最後の輸血前の血検の結果とコメントを書いた紙を渡してくれて、説明を丁寧にしてくれた。
最後に輸血で可能性にかけた事、結果的にかりんは亡くなったので先生もあの時に家に帰せば良かったか?とずっと考えてしまったようです。
この判断は獣医師として何回も経験しているけど、毎回悩むところらしい。
実際、私達の面会の直前にお話ししてた方達は数日前にワンコが亡くなった飼主さんで、最後、酸素室に居れば1~2日は生きられただろうと思ったけど、飼主さんにお帰しし、家族の方皆で看取る事ができたようです。
1日でも長く生かしたいと思う飼主さんもいるし、難しい選択だよね・・・
カルテを見せていただきながら輸血の状態やかりんの状態を説明してくれた。
数十分おきのチェックがカルテにビッシリ書いてあった。
尿道カテーテルも入れて、尿色を確認しながら心拍数・呼吸様式・体温など状態をチェックしつつ輸血をしていたとの事。
かりん、急変する15分位前(午前8時40分)まで順調だったらしい・・・(涙)
8時55分のチェックの時に新しい輸血のパックを用意して持っていくと急変したって。
急いで酸素室から手術室に移動して蘇生処置をしながら我が家に連絡をしてくれたみたい。
午前5時40分頃は輸血の効果で粘膜の色もピンクになってきて、先生にも呼ぶように吠えたって。
この時が一番この一晩の中で状態が良かったみたいです。
外部に出していた嫌気細菌の結果は陰性。
かりんの体には特に悪さをする細菌は無かったという事らしい。
解剖をしていないので確定判断はできないけど、
最終的には膵炎の影響で溶血性貧血が悪化し、循環機能の低下から血液の不足がおき加速度的な腎機能の悪化で亡くなったのではないかとの事だった。
私も最後はきっと多臓器不全になっていたのだろうと思っていた。
溶血性貧血の後明るい兆しが見えてきたけど、やはり溶血性貧血のダメージは大きかったと私も感じてた。
ただね、最後の血液検査も少量の採血に抑えたから色々とは検査できなかったけど、電解質の数値とかは正常値のものもあるし、かりんを見ている状態よりも悪い数値ではなく、助かる可能性を秘めていた。
腎機能も末期の腎不全状態の子に比べたらまだぜんぜん大丈夫な数値だったと・・・
だから、R先生も私達飼い主と同じレベルで最後まで諦めずに一緒に闘ってくれた。
最後に諦めて家に連れて帰ればと後悔もしたけど、あの時に助かる可能性を秘めていた状況で治療を止めて家に連れて帰っていたら?と考えた時にそれはまた後悔になっていたと思う。
やはり、R先生にお任せして良かった。
ぷりうらから16年以上お世話になってるのは間違いが無かったと改めて思った。
もしかしたら、MRIやCTなどを撮り、全身くまなく検査したら本当の病気が他に隠れていたのかもしれない?と思ったりもしてます。
もう少し一気に襲って来なければかりんは頑張れたかもしれません。
かりん、本当に最後まで頑張ってたんだなぁ~
というのが解り、余計に膵炎が憎い!!
ある意味、かりんはかりんらしくお婆ちゃんぽく見えないまま旅立ったのかもしれない。
連休でおとやんも私も揃っている日を選んだのかも・・・
出産の時もそうだったよねぇ~
良く飼主でも見てない時に出産するとか聞いた事あったけど、かりんは私だけじゃなくおとやんまで呼んでこれから産むんだから一緒に居ろと言った。
子育ても他の母性の強い母犬ちゃんは飼主にも触らせないようにしたとか聞いたけど、かりんは私にもおとやんにも子育てを一緒にしろと言った。
いつも私やおとやんの間に居たかりん。
一人っ子時代があったからかもだけど、飼主と遊ぶのが大好きだった。
いつまでも若々しいままだった。溶血性貧血になる直前までお庭でボール遊びもしてた。
だからこんなに短期間で居なくなるなんて思えなくて心が全くついて行かないよ。
R先生の説明を聞いて支払いを済ませキャリーバッグを受け取って家に帰宅したら、ミニかりん全員がキャリーバッグに顔を突っ込み匂いを嗅いでた。
そして、かのんが久々にお尻を丸めてリビングを走り回った・・・・
まるでかりんが私達と一緒に帰宅したかのようだった。
かのん、見えるタイプだから見えてたのかな?
かりんが具合悪くなってからお尻丸めて走り回る事が無かったのに・・・
そうそう、かりん!
かのんにいつ教えたの?
かりんが亡くなってから火葬するまでの間、かのんはかりんが寝ている隣で守り神の様にしていたの。
かりんがまだ生きてる最期の4ワンでの写真
かのんはかりんの所に寝てるでしょ?(笑)
ぷりうらが亡くなった時に、かりんが同じ様にぷりうらの亡骸の守り神をしてたんだ。
ミニかりんが近付くとガルル~って怒って近付かせなかった位。
それをかのんが受け継いでたよ。
亡くなる前もかりんが闘病している隣に寄り添って守り神してたよね?(↑写真)
やはり、かりんがかのんをナンバー2と思っていたのか?かのんに対しての躾や態度が他の2ワンに対してと違っていたの。
生前かりんは『私の後はあなたがボスだ』とかのんに言って躾けてたのかな?
まだまだダメダメ飼主で毎日の様にかりんに逢いたいと言って泣いちゃう状態だけど。
これから少しずつ、かりんを最初に思い浮かべて出掛ける場所を決めていた脳をミニかりんにシフトしていかないといけないね。
きっとかりんにはまた逢えるから・・・
また14年前のように『やっと逢えた』と思う時が来るから・・・
絶対にみつけるよ!
かりんが頑張って産んで育てたミニかりんと毎日を大切に生きていくからぷりうらと一緒に見守っててね。
かりんの楽しそうな好奇心旺盛な笑顔が大好きだったよ。
この笑顔を見たくていつもお出掛けしてた。
またね…
う~まだ苦しい・・・
分離不安になってるのはかりんではなく、私自身なんだとつくづく思い知らされてます。
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いっぱい頑張ったかりんをどうか皆さん褒めてあげて下さいm(__)m
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2014.11.3
かりん
14歳3カ月4日で永眠。
2014年5月から腎不全・9月から
甲状腺機能低下症・溶血性貧血・
急性膵炎と連続で襲われ、懸命に
闘いましたが残念ながら
お空にお引っ越ししました。
2016.1.20 せいん
13歳9ヵ月3日で永眠
2006にリウマチ発症
リウマチになって約10年
いっぱい頑張ってお空にお引越ししました
2017.7.18 かのん
15歳3ヵ月1日で永眠
腎不全・膵炎・甲状腺機能低下症他を
コントロールしていたところ、
皮膚型リンパ腫を発症しあっという間に
お空にお引越ししました。
2017.12.16 しおん
15歳8ヵ月で永眠
急激な悪化・展開で闘病12日間という
短期間であっという間にお空にお引越ししました。
14歳3カ月4日で永眠。
2014年5月から腎不全・9月から
甲状腺機能低下症・溶血性貧血・
急性膵炎と連続で襲われ、懸命に
闘いましたが残念ながら
お空にお引っ越ししました。
2016.1.20 せいん
13歳9ヵ月3日で永眠
2006にリウマチ発症
リウマチになって約10年
いっぱい頑張ってお空にお引越ししました
2017.7.18 かのん
15歳3ヵ月1日で永眠
腎不全・膵炎・甲状腺機能低下症他を
コントロールしていたところ、
皮膚型リンパ腫を発症しあっという間に
お空にお引越ししました。
2017.12.16 しおん
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急激な悪化・展開で闘病12日間という
短期間であっという間にお空にお引越ししました。
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