かりんの闘病は終わった。
何とか助けたかったけど助けられなかった…
かりん
助けられなくてごめんねm(_ _)m
最期に一緒に居てあげられなくてごめんねm(_ _)m
本当にかりんはいっぱい頑張って偉かったよ。
電話で伝えると泣いて言えないので、実家に電話したくなかったけど、かりんと会いたがっていた母に連絡してかりんが死んだ事を告げた。
電話口で母も泣き始めたので私も泣いてしまった。
後で来るとの事で電話を切る。
おとやんも帰宅して食べ物をかりんに置き、お花を供えた。
午後になり、クッキーママ家がお出掛け中にも係らずお悔やみにきてくれた。
いっぱい心配や応援をしてくれて本当にありがとうm(__)m
綺麗で立派なお花やお菓子もありがとうm(__)m
かりんがまだ溶血性貧血で闘病する1週間前に最後のおデートできて本当に良かった。
その後、もなママからも電話があり電話口で絶句して泣き崩れていたよ。
夕方になり、実家の母・兄夫婦・姪っ子1がお悔やみに来た。
あすかも来たよ。久々に会ったあすか、かりんと同じ14歳なのに落ち付きがない。
色々あったあすかより、かりんが先に逝くなんて思ってもみなかった。
そのすぐ後にもなママも到着。
しばらくして、モモちゃん家もお悔やみに。
病院でも何度かあっていて、ずっと心配してくれてました。
お花やお菓子をありがとうございます。
もなママはしばらく残ってお話をしてくれてたね。
今日はもなママ○○歳の誕生日。かりんの命日になっちゃったね。
夜にはかりんの弟ロンが居た従兄と伯母からも電話があった。
伯母が『かりんはロンの倍生きたじゃない。』って・・・
私がしばらくはダメだ。と言ったら従兄は『家族だからね…』と言ってた。
皆が帰ってから、静かになった我が家。
まだぜんぜん信じられず、かりんを見ていても今にも動きそう。
もなママもジーっと見てると瞼が動いた様に見えるって言ってた。
この日の夜、今までの疲れとかがあるので早目に布団を敷いて寝る準備をし始めたら、急激に寒気と悪寒に襲われた。
でも病的な感じではないの・・・
明日は仕事に行くし、万が一の為に葛根湯を飲んでから寝る事にした。
布団に入ってもガクガクブルブルが治まらず、毛布もかけてみた。
ミニかりんが全員私の布団の中に入ってきてくれて、しばらくすると寒気も悪寒もなくなった。
かりんの仕業???と思うほど。
後で色々なブログを呼んでいたら、愛犬が亡くなる前後で私と同じ体験してる人の記事が数件あった・・・やはりかりんの仕業かもね。
火葬は少し時間を置くことにした。
入院から闘病中も数週間一緒にいる時間が短かったし、抱っこもさせてくれなかったから。
水曜日のおとやんのお休みの日の午後に決めた。
連休明けの仕事を終え、家に帰宅してもかりんは動かないまま・・・
抱っこしたくて抱き上げて、抱きしめてひとしきり泣いた。
かりんの寝ている隣にクッションを置き、かりんの前足を握りながら気付いたらうたた寝してた。
おとやんも早目に帰宅してきたよ。
火葬の日、早朝からかりんをまた抱きしめた。
仕事から帰って火葬に向かうのに時間的に余裕がないだろうから今のうちに最後に抱っこ。
おとやんも『おれも抱っこしたい』と言ったので、抱っこしてひとしきり泣いた。
私が仕事に行っている間におとやんに皆さんに頂いたお花とかおやつを入れて旅立ちの準備をお願いしておいた。
帰宅したら綺麗に旅立ちの準備をされたかりん。
また泣き崩れてしまった。
お庭に辛うじて咲いてたラベンダー、部屋にある観葉植物も入れてあった(笑)
軽くお昼を食べ、もなママともなかが参列してくれる事になっているので、もなママを待った。
来たので、2台で出発。
斎場にはせりかママ・せりかも来てくれる事になっていた。
最後に斎場の方に『お水を口に』と言われ、人間の時の様にお水を口に含ませた。
もなママはショートケーキをかりんの為に買ってきてくれたので、入れてあげました。
そのうちせりかママ・せりかも到着。
持ってきてくれたお花を入れて最後にかりんが産んだかりんの分身ミニかりん5ワンでお見送りしたよ。
皆でお話をしながら待ち、焼きあがったので皆で骨を拾った。
Mダックスの女の子でも大柄だったかりんでもこんなに骨は小さいんだね・・・
斎場の方が骨の説明をしてくれて、丁寧に骨壷に納めてくれた。
外に出て暫くお話してから皆とお別れした。
何でこんなことになっちゃったんだろう?
ここ数ヶ月、毎日言っていた言葉…
今年の5月でフィラリアの検査の時に腎不全が解った時までは、大きな病気一つしなくて元気なシニアだったのに。
腎不全の為にフードを変え、オヤツもあげられなくなり、かりんと私の間に少しだけ溝ができてしまった。
腎臓の機能が少しでも長くもつようにと、余計な物はあげないように徹底した。
腎不全ならお友達ワンも去年から頑張ってるし、今も元気にしているからきっとかりんも大丈夫。
でも、胸のモヤモヤ感がずっと取れなかった。
かりんも訳わからずのまま、私が今までのオヤツやパン・お肉のかけら、野菜の切れ端もあげずにいる事に不満そうにしてた。
そんな状態のまま7月にかりんがブルブルした時だけ眩暈があり、9月上旬に甲状腺機能低下症の検査がビンゴ。
これはホルモン剤でコントロールできるからと言われ一安心し、ホルモン剤の効果が出てくるのが3週間位なので1ヶ月位で検査して薬の調整のはずだった。
あと1週間位で薬の調整に入れると思った矢先、9月中旬に大量出血で溶血性貧血が発覚。
1泊の入院と輸血で無事に帰って来てくれ、高用量のステロイドと免疫抑制剤で一気に叩く。
3週間経ち、投薬効果で再度の輸血なしで溶血性貧血を克服できる兆しが見え、『流石かりんちゃん。凄いねぇ~頑張ったね~』と言ってかりんを褒めてた。
これでやっと胸のモヤモヤが消えて、元気なかりんちゃんが戻ってくる。そう信じてた。
あと少し頑張れば薬量も減らせるし、少しだけ美味しい物も食べさせちゃえなんて思ってた。
貧血との闘いで体力も落ち、免疫力も落ちてるから徐々にリハビリもしないと。
と思ってた。
良い結果の血液検査に我が家に久々に明るい光が差したはずだった。
それなのに、その喜びは一晩で終わった。
次の日からの体調不良。
急性膵炎と解って即入院。
何で、ここまで3種類の病気と闘って頑張ってるかりんに追い打ちをかけるように膵炎まで襲うの?
本当に頑張ってたのに・・・
今までかりんに頑張れと言い、いっぱい頑張らせた事を悔やんだ。
腎不全だからと色々あげない様にしていた事を悔やんだ。
こんなに早くお別れが来るのが解っていたなら、腎不全なんて気にせずに色々たべさせてあげればよかったと悔やんだ。
もし、腎不全が5月に軽度で解っていなければ、もっと長い時間かりんはストレスなく美味しいモノを食べれて、ストレスによって他の病気の誘発にならなかったかもしれない・・・
かりんが助かるならと退院して『家が最高』と言って安心しているかりんを毎日静脈点滴で病院に預け、一緒に居る時間が少しになってしまった事を悔やんだ。
心のどこかでもうかりんは厳しい状態だと解っていたのに、最後の最後まで望みがあるならと頑張らせてしまった事を悔やんだ。
延命治療はしたくないと先生に告げ、先生も了承してくれて、そうならない様にしていたのに最後は結局逝かせたくない逝かせ方になってしまった。
退院してるから家にいる時間は増えたとはいえ、午前中は仕事でお留守番、帰宅してすぐに病院に預けて19時のお迎え。
これじゃ1日の殆どがかりんと離れ離れだった。
どこかで諦めて家で緩和ケアにし、ずっと一緒に居てあげた方がかりんは嬉しかったのかもしれないと悔やんだ。
膵炎で退院してからフラフラして歩いてるかりんに、歩けなくなったら困るからとなるべく自力で歩けるようにと移動するのも自力でさせてた。
自宅療養していたかりんは、体がだるいのか?抱っこを嫌がってあまりさせてくれなかった。
かりんに一人で逝かないでと仕事に行く時の待っててねも夜寝る時の絶対一人で逝かない様に起こしてねもかりんは守ってくれてたのに・・・
せりかママに最後に吠えたのは『家に帰りたい』だったのかもしれないね・・・
一人で頑張らせて本当にごめんね。
私の腕の中で逝かせたかった。
14歳になり、寿命はそう遠い何年も先ではないだろう。
腎不全になってしまったからここ1~2年かな?
ここからがかりんの生涯最後の大切な時期、ここからが今までの14年間より内容の濃い時間になるだろう。
これからのかりんの老い一つ一つを噛みしめながら、ある意味それを見ていられる事を楽しみながら過ごしていこうと思っていた。
かりんのお婆ちゃんを大変でも楽しもうと・・・だけど、かりんは元気な時と変わらない姿で14歳に見えないままのかりんで一気に旅立ってしまった。
今でもまだ信じられない、短期間すぎて心がついていかない。
もっと、かりんお婆ちゃん見たかった。
世話が焼けるなって毎日抱き締めたかった。
ずっと元気印だったかりんの最後がこんな終わり方だと思いたくなかった。
14歳3カ月と4日。
我が家に来てから14年と1ヶ月弱。
長い様であっという間だった。
我が家の危機を何度も救ってくれた。
この家はかりんを迎える為に建てた様な家だった。
かりんの存在を知らず、この家を建て引っ越してきた10日後にかりんはこの世に生を受けた。
かりんと共に年を重ねた家。
かりんの居ない冬を始めて迎える事になったね…
引っ越ししたらいずれ近いうちにワンコを飼うというのが兼ねてからのうち等の夫婦の希望。
引っ越しも落ち付き始めた頃、かりんの話が来た。
かりんの弟ロンが従兄の家に来たから。
Mダックスが一番人気だった頃。
会いたいなぁ~と思いながら、その当時欲しかったのはGレトリバーだったので考えてしまったけど、おとやんに大型犬だと介護が大変だし、寝たきりになってしまったら一人で病院に連れて行けないでしょ?と言われていた。
だったら、静岡に会いに行こう。と決めた。予定は一週間後。
その間、やっぱり会いに行ったらきっと連れて帰らないなんて無理だよね。と二人で話。
1週間の間でダックスの本を何冊も買い、ケージやその他必要な物全てをショップの人と相談しながら揃えて、何色の子なんだろう?色さえも解らないまま、名前もある程度決めてから会いに行くことに。
私は本当にやっと会えると心の底から嬉しくて待ち遠しくて、前夜から興奮して眠れなかった。
ぷりうらも連れて行った。
先に従兄の家に行き、ロンに会った。
『可愛い』
すぐにかりんに会いに出かけた。
玄関のサークルにいた2ワン。
思わず『可愛い~』と叫んだ私を振り返りながら見たのがかりん。
その時のニマっと笑う笑顔のかりんの顔が今でも忘れられず、すぐにこの子と私は決めた。
やっと会えたという感覚に近いと思う。
かりんはすぐに『誰でしゅか?』という顔をしてたね。
2ワンの女の子どちらでも良いと言われ、おとやんは妹のハナちゃんを気に入った。
え~っ!!と思ったけど、大切な子だからと慎重に検討。
おとやんがハナちゃんを抱っこしたらビクビクしてる感じ。
次にかりんを抱っこしたらしっくりときて落ち付いた。
これで、私の第一印象通りかりんに決定。
ぷりうらも一緒に暮らすし、ビクビクしてたハナちゃんだと対応できないかも?というのも決定の一因。
かりんを譲っていただいたお家の方が、最後に抱っこさせてと言ってかりんを抱っこし、幸せになるんだよと言っていた。
絶対にしあわせにしようと心に決めた。
そして、この子は育てるの大変かも?と言われた(笑)
一番大きくて、一番最初に生まれて、一番食いしん坊で他の子のご飯も食べちゃう位だったって。
脱走も上手で気付くと一人で脱走してリビングで寝てたって・・・
大きさや食いしん坊はまるでかのんみたいだね(笑)
だからかのんを最初に残すと決めたんだけど・・・
まぁ我が家に来てからまさかフードジプシーするほど食べてくれない事に悩むなんて想像もつかなかったよね。
子供を産んだら食いしん坊に戻ったけど・・・
脱走の名人はしおんに受け継がれてたね。
ミニかりん返しもあっという間に攻略されたよ。
かりんをおとやんが抱っこして私が運転し、母が後部座席に座った。
車を動かし始めた途端、かりんが泣き始めた。
ここのお家とママとハナちゃんとさよならって解ったんだね。
しばらく走っても泣きっぱなしのかりん。
途中、止まった所で母が私が抱っこすると言い出し、おとやんと交代して母が抱っこしたら落ち着いて泣かなかった。(笑)
これが母の自慢?(笑)既にかりんにメロメロになった母。
従兄の家に戻り、1週間違いで従兄の家に来たロンとご対面。
兄弟だから覚えていて、二人でじゃれあってた。
かりんは従兄の家が興味津津であちこちウロウロし、ロンの残したご飯を食べた(笑)
この時から好奇心旺盛な子だったんだね。
食欲もあるみたいだから安心。
しばらくロンと遊ばせてから帰宅する事に。
静岡から家に到着するまで母が抱っこして、寝てきたかりん。
母を実家に送り届、この家に到着。
生後70日、お疲れちゃんと、初めての場所でソファに乗せたかりんはネムネムだったね。
不安そうな顔忘れないよ。
その後、すぐに私のストーカーになり、私が育児ノイローゼになりそうと思う位姿が見えないとキューンキューン鳴いた。
私がトイレに行けば、トイレの前までキューンキューン鳴きながら来て、私がトイレのドアを開け一歩踏み出すとしっこの海に足をビチャ(^^ゞ
何度も靴下を濡らされたよ。
ぷりうらとも丁度良い距離をすぐに掴み、上手に遊べるようになった。
ほんとに可愛かった。
かりんは我が家に全てがピッタリで好みの性格だった。
走るのが得意で、自分でも自信があったと思う。
とても敵わないボーダーちゃんやサルーキーちゃんにも負けない様に追いかけっこで挑んだ。
はっちゃけ娘だけど、落ち着きもある子だった。
人間の子供も好きで上手に相手できた。
お散歩デビューで柴犬に追いかけられトラウマになり怖がって吠える様になった。
森林公園ではいっぱいお友達できたね。
先に旅立った友達にもう会えたかな?
ほんとにほんとに淋しい。
この1ヶ月毎日、仕事から帰って『かりんちゃんただいま〜何処に居るの?』と声をかけてしまう。
『逢いたい』とずっと言ってしまう。
おとやんに木蓮の涙みたいだねと言われ、ほんとそうだ。あの曲のままだ。
言われた次の日に聴きたくてyoutubeで探したらチョコラブちゃんと歌詞が出ていて思わず開いた。
もう始まって直ぐに大号泣。
私と全く同じ気持ちでこの曲でこの動画を作ってる人が居た事も嬉しかった。
動画に出てくるチョコラブちゃんが幸せそうな顔で飼い主さんに物凄く愛されてた事が伝わってきた。
チョコラブの飼い主さんのブログが無いか探したら見つけた。
その子の亡くなった頃の記事を読んで今の自分と全く同じ心境だったことが解った。
なんとなくホッとした。
かりんはしあわせだったかな?
病院を退院する日、退院の準備をしてもらってる時、処置室で待っていると耳が遠くなってきたはずのかりんがちょっとした音にも反応してた。
それだけ、神経が敏感になってたと解り家に出来るだけ居させてあげたいと思った。
4ワン居ると、他の子も居るからとか14歳なら仕方ないって言われる。
言われても仕方ないと解ってる。
でも、私とおとやんにとっては、かりんは特別な存在で我が家の要の子だった。
ミニかりんが生まれて可愛いBaby時代5ワンが全員で私達をメロメロにしようとしても(もちろんメロメロでしたが)かりんに対しての特別感というか大切さは変わりなく、増す一方で一番大切で特別な存在だった。
かりんの空けた穴はかりんでしか埋まらない・・・
出かける時も、かりんが喜ぶかを最初に頭に思い浮かべてからそこにミニかりん達を当てはめて皆が楽しいか?で決めてた。
ほんとに、ほんとに大切な宝物だった。
何とか助けたかったけど助けられなかった…
かりん
助けられなくてごめんねm(_ _)m
最期に一緒に居てあげられなくてごめんねm(_ _)m
本当にかりんはいっぱい頑張って偉かったよ。
電話で伝えると泣いて言えないので、実家に電話したくなかったけど、かりんと会いたがっていた母に連絡してかりんが死んだ事を告げた。
電話口で母も泣き始めたので私も泣いてしまった。
後で来るとの事で電話を切る。
おとやんも帰宅して食べ物をかりんに置き、お花を供えた。
午後になり、クッキーママ家がお出掛け中にも係らずお悔やみにきてくれた。
いっぱい心配や応援をしてくれて本当にありがとうm(__)m
綺麗で立派なお花やお菓子もありがとうm(__)m
かりんがまだ溶血性貧血で闘病する1週間前に最後のおデートできて本当に良かった。
その後、もなママからも電話があり電話口で絶句して泣き崩れていたよ。
夕方になり、実家の母・兄夫婦・姪っ子1がお悔やみに来た。
あすかも来たよ。久々に会ったあすか、かりんと同じ14歳なのに落ち付きがない。
色々あったあすかより、かりんが先に逝くなんて思ってもみなかった。
そのすぐ後にもなママも到着。
しばらくして、モモちゃん家もお悔やみに。
病院でも何度かあっていて、ずっと心配してくれてました。
お花やお菓子をありがとうございます。
もなママはしばらく残ってお話をしてくれてたね。
今日はもなママ○○歳の誕生日。かりんの命日になっちゃったね。
夜にはかりんの弟ロンが居た従兄と伯母からも電話があった。
伯母が『かりんはロンの倍生きたじゃない。』って・・・
私がしばらくはダメだ。と言ったら従兄は『家族だからね…』と言ってた。
皆が帰ってから、静かになった我が家。
まだぜんぜん信じられず、かりんを見ていても今にも動きそう。
もなママもジーっと見てると瞼が動いた様に見えるって言ってた。
この日の夜、今までの疲れとかがあるので早目に布団を敷いて寝る準備をし始めたら、急激に寒気と悪寒に襲われた。
でも病的な感じではないの・・・
明日は仕事に行くし、万が一の為に葛根湯を飲んでから寝る事にした。
布団に入ってもガクガクブルブルが治まらず、毛布もかけてみた。
ミニかりんが全員私の布団の中に入ってきてくれて、しばらくすると寒気も悪寒もなくなった。
かりんの仕業???と思うほど。
後で色々なブログを呼んでいたら、愛犬が亡くなる前後で私と同じ体験してる人の記事が数件あった・・・やはりかりんの仕業かもね。
火葬は少し時間を置くことにした。
入院から闘病中も数週間一緒にいる時間が短かったし、抱っこもさせてくれなかったから。
水曜日のおとやんのお休みの日の午後に決めた。
連休明けの仕事を終え、家に帰宅してもかりんは動かないまま・・・
抱っこしたくて抱き上げて、抱きしめてひとしきり泣いた。
かりんの寝ている隣にクッションを置き、かりんの前足を握りながら気付いたらうたた寝してた。
おとやんも早目に帰宅してきたよ。
火葬の日、早朝からかりんをまた抱きしめた。
仕事から帰って火葬に向かうのに時間的に余裕がないだろうから今のうちに最後に抱っこ。
おとやんも『おれも抱っこしたい』と言ったので、抱っこしてひとしきり泣いた。
私が仕事に行っている間におとやんに皆さんに頂いたお花とかおやつを入れて旅立ちの準備をお願いしておいた。
帰宅したら綺麗に旅立ちの準備をされたかりん。
また泣き崩れてしまった。
お庭に辛うじて咲いてたラベンダー、部屋にある観葉植物も入れてあった(笑)
軽くお昼を食べ、もなママともなかが参列してくれる事になっているので、もなママを待った。
来たので、2台で出発。
斎場にはせりかママ・せりかも来てくれる事になっていた。
最後に斎場の方に『お水を口に』と言われ、人間の時の様にお水を口に含ませた。
もなママはショートケーキをかりんの為に買ってきてくれたので、入れてあげました。
そのうちせりかママ・せりかも到着。
持ってきてくれたお花を入れて最後にかりんが産んだかりんの分身ミニかりん5ワンでお見送りしたよ。
皆でお話をしながら待ち、焼きあがったので皆で骨を拾った。
Mダックスの女の子でも大柄だったかりんでもこんなに骨は小さいんだね・・・
斎場の方が骨の説明をしてくれて、丁寧に骨壷に納めてくれた。
外に出て暫くお話してから皆とお別れした。
何でこんなことになっちゃったんだろう?
ここ数ヶ月、毎日言っていた言葉…
今年の5月でフィラリアの検査の時に腎不全が解った時までは、大きな病気一つしなくて元気なシニアだったのに。
腎不全の為にフードを変え、オヤツもあげられなくなり、かりんと私の間に少しだけ溝ができてしまった。
腎臓の機能が少しでも長くもつようにと、余計な物はあげないように徹底した。
腎不全ならお友達ワンも去年から頑張ってるし、今も元気にしているからきっとかりんも大丈夫。
でも、胸のモヤモヤ感がずっと取れなかった。
かりんも訳わからずのまま、私が今までのオヤツやパン・お肉のかけら、野菜の切れ端もあげずにいる事に不満そうにしてた。
そんな状態のまま7月にかりんがブルブルした時だけ眩暈があり、9月上旬に甲状腺機能低下症の検査がビンゴ。
これはホルモン剤でコントロールできるからと言われ一安心し、ホルモン剤の効果が出てくるのが3週間位なので1ヶ月位で検査して薬の調整のはずだった。
あと1週間位で薬の調整に入れると思った矢先、9月中旬に大量出血で溶血性貧血が発覚。
1泊の入院と輸血で無事に帰って来てくれ、高用量のステロイドと免疫抑制剤で一気に叩く。
3週間経ち、投薬効果で再度の輸血なしで溶血性貧血を克服できる兆しが見え、『流石かりんちゃん。凄いねぇ~頑張ったね~』と言ってかりんを褒めてた。
これでやっと胸のモヤモヤが消えて、元気なかりんちゃんが戻ってくる。そう信じてた。
あと少し頑張れば薬量も減らせるし、少しだけ美味しい物も食べさせちゃえなんて思ってた。
貧血との闘いで体力も落ち、免疫力も落ちてるから徐々にリハビリもしないと。
と思ってた。
良い結果の血液検査に我が家に久々に明るい光が差したはずだった。
それなのに、その喜びは一晩で終わった。
次の日からの体調不良。
急性膵炎と解って即入院。
何で、ここまで3種類の病気と闘って頑張ってるかりんに追い打ちをかけるように膵炎まで襲うの?
本当に頑張ってたのに・・・
今までかりんに頑張れと言い、いっぱい頑張らせた事を悔やんだ。
腎不全だからと色々あげない様にしていた事を悔やんだ。
こんなに早くお別れが来るのが解っていたなら、腎不全なんて気にせずに色々たべさせてあげればよかったと悔やんだ。
もし、腎不全が5月に軽度で解っていなければ、もっと長い時間かりんはストレスなく美味しいモノを食べれて、ストレスによって他の病気の誘発にならなかったかもしれない・・・
かりんが助かるならと退院して『家が最高』と言って安心しているかりんを毎日静脈点滴で病院に預け、一緒に居る時間が少しになってしまった事を悔やんだ。
心のどこかでもうかりんは厳しい状態だと解っていたのに、最後の最後まで望みがあるならと頑張らせてしまった事を悔やんだ。
延命治療はしたくないと先生に告げ、先生も了承してくれて、そうならない様にしていたのに最後は結局逝かせたくない逝かせ方になってしまった。
退院してるから家にいる時間は増えたとはいえ、午前中は仕事でお留守番、帰宅してすぐに病院に預けて19時のお迎え。
これじゃ1日の殆どがかりんと離れ離れだった。
どこかで諦めて家で緩和ケアにし、ずっと一緒に居てあげた方がかりんは嬉しかったのかもしれないと悔やんだ。
膵炎で退院してからフラフラして歩いてるかりんに、歩けなくなったら困るからとなるべく自力で歩けるようにと移動するのも自力でさせてた。
自宅療養していたかりんは、体がだるいのか?抱っこを嫌がってあまりさせてくれなかった。
かりんに一人で逝かないでと仕事に行く時の待っててねも夜寝る時の絶対一人で逝かない様に起こしてねもかりんは守ってくれてたのに・・・
せりかママに最後に吠えたのは『家に帰りたい』だったのかもしれないね・・・
一人で頑張らせて本当にごめんね。
私の腕の中で逝かせたかった。
14歳になり、寿命はそう遠い何年も先ではないだろう。
腎不全になってしまったからここ1~2年かな?
ここからがかりんの生涯最後の大切な時期、ここからが今までの14年間より内容の濃い時間になるだろう。
これからのかりんの老い一つ一つを噛みしめながら、ある意味それを見ていられる事を楽しみながら過ごしていこうと思っていた。
かりんのお婆ちゃんを大変でも楽しもうと・・・だけど、かりんは元気な時と変わらない姿で14歳に見えないままのかりんで一気に旅立ってしまった。
今でもまだ信じられない、短期間すぎて心がついていかない。
もっと、かりんお婆ちゃん見たかった。
世話が焼けるなって毎日抱き締めたかった。
ずっと元気印だったかりんの最後がこんな終わり方だと思いたくなかった。
14歳3カ月と4日。
我が家に来てから14年と1ヶ月弱。
長い様であっという間だった。
我が家の危機を何度も救ってくれた。
この家はかりんを迎える為に建てた様な家だった。
かりんの存在を知らず、この家を建て引っ越してきた10日後にかりんはこの世に生を受けた。
かりんと共に年を重ねた家。
かりんの居ない冬を始めて迎える事になったね…
引っ越ししたらいずれ近いうちにワンコを飼うというのが兼ねてからのうち等の夫婦の希望。
引っ越しも落ち付き始めた頃、かりんの話が来た。
かりんの弟ロンが従兄の家に来たから。
Mダックスが一番人気だった頃。
会いたいなぁ~と思いながら、その当時欲しかったのはGレトリバーだったので考えてしまったけど、おとやんに大型犬だと介護が大変だし、寝たきりになってしまったら一人で病院に連れて行けないでしょ?と言われていた。
だったら、静岡に会いに行こう。と決めた。予定は一週間後。
その間、やっぱり会いに行ったらきっと連れて帰らないなんて無理だよね。と二人で話。
1週間の間でダックスの本を何冊も買い、ケージやその他必要な物全てをショップの人と相談しながら揃えて、何色の子なんだろう?色さえも解らないまま、名前もある程度決めてから会いに行くことに。
私は本当にやっと会えると心の底から嬉しくて待ち遠しくて、前夜から興奮して眠れなかった。
ぷりうらも連れて行った。
先に従兄の家に行き、ロンに会った。
『可愛い』
すぐにかりんに会いに出かけた。
玄関のサークルにいた2ワン。
思わず『可愛い~』と叫んだ私を振り返りながら見たのがかりん。
その時のニマっと笑う笑顔のかりんの顔が今でも忘れられず、すぐにこの子と私は決めた。
やっと会えたという感覚に近いと思う。
かりんはすぐに『誰でしゅか?』という顔をしてたね。
2ワンの女の子どちらでも良いと言われ、おとやんは妹のハナちゃんを気に入った。
え~っ!!と思ったけど、大切な子だからと慎重に検討。
おとやんがハナちゃんを抱っこしたらビクビクしてる感じ。
次にかりんを抱っこしたらしっくりときて落ち付いた。
これで、私の第一印象通りかりんに決定。
ぷりうらも一緒に暮らすし、ビクビクしてたハナちゃんだと対応できないかも?というのも決定の一因。
かりんを譲っていただいたお家の方が、最後に抱っこさせてと言ってかりんを抱っこし、幸せになるんだよと言っていた。
絶対にしあわせにしようと心に決めた。
そして、この子は育てるの大変かも?と言われた(笑)
一番大きくて、一番最初に生まれて、一番食いしん坊で他の子のご飯も食べちゃう位だったって。
脱走も上手で気付くと一人で脱走してリビングで寝てたって・・・
大きさや食いしん坊はまるでかのんみたいだね(笑)
だからかのんを最初に残すと決めたんだけど・・・
まぁ我が家に来てからまさかフードジプシーするほど食べてくれない事に悩むなんて想像もつかなかったよね。
子供を産んだら食いしん坊に戻ったけど・・・
脱走の名人はしおんに受け継がれてたね。
ミニかりん返しもあっという間に攻略されたよ。
かりんをおとやんが抱っこして私が運転し、母が後部座席に座った。
車を動かし始めた途端、かりんが泣き始めた。
ここのお家とママとハナちゃんとさよならって解ったんだね。
しばらく走っても泣きっぱなしのかりん。
途中、止まった所で母が私が抱っこすると言い出し、おとやんと交代して母が抱っこしたら落ち着いて泣かなかった。(笑)
これが母の自慢?(笑)既にかりんにメロメロになった母。
従兄の家に戻り、1週間違いで従兄の家に来たロンとご対面。
兄弟だから覚えていて、二人でじゃれあってた。
かりんは従兄の家が興味津津であちこちウロウロし、ロンの残したご飯を食べた(笑)
この時から好奇心旺盛な子だったんだね。
食欲もあるみたいだから安心。
しばらくロンと遊ばせてから帰宅する事に。
静岡から家に到着するまで母が抱っこして、寝てきたかりん。
母を実家に送り届、この家に到着。
生後70日、お疲れちゃんと、初めての場所でソファに乗せたかりんはネムネムだったね。
不安そうな顔忘れないよ。
その後、すぐに私のストーカーになり、私が育児ノイローゼになりそうと思う位姿が見えないとキューンキューン鳴いた。
私がトイレに行けば、トイレの前までキューンキューン鳴きながら来て、私がトイレのドアを開け一歩踏み出すとしっこの海に足をビチャ(^^ゞ
何度も靴下を濡らされたよ。
ぷりうらとも丁度良い距離をすぐに掴み、上手に遊べるようになった。
ほんとに可愛かった。
かりんは我が家に全てがピッタリで好みの性格だった。
走るのが得意で、自分でも自信があったと思う。
とても敵わないボーダーちゃんやサルーキーちゃんにも負けない様に追いかけっこで挑んだ。
はっちゃけ娘だけど、落ち着きもある子だった。
人間の子供も好きで上手に相手できた。
お散歩デビューで柴犬に追いかけられトラウマになり怖がって吠える様になった。
森林公園ではいっぱいお友達できたね。
先に旅立った友達にもう会えたかな?
ほんとにほんとに淋しい。
この1ヶ月毎日、仕事から帰って『かりんちゃんただいま〜何処に居るの?』と声をかけてしまう。
『逢いたい』とずっと言ってしまう。
おとやんに木蓮の涙みたいだねと言われ、ほんとそうだ。あの曲のままだ。
言われた次の日に聴きたくてyoutubeで探したらチョコラブちゃんと歌詞が出ていて思わず開いた。
もう始まって直ぐに大号泣。
私と全く同じ気持ちでこの曲でこの動画を作ってる人が居た事も嬉しかった。
動画に出てくるチョコラブちゃんが幸せそうな顔で飼い主さんに物凄く愛されてた事が伝わってきた。
チョコラブの飼い主さんのブログが無いか探したら見つけた。
その子の亡くなった頃の記事を読んで今の自分と全く同じ心境だったことが解った。
なんとなくホッとした。
かりんはしあわせだったかな?
病院を退院する日、退院の準備をしてもらってる時、処置室で待っていると耳が遠くなってきたはずのかりんがちょっとした音にも反応してた。
それだけ、神経が敏感になってたと解り家に出来るだけ居させてあげたいと思った。
4ワン居ると、他の子も居るからとか14歳なら仕方ないって言われる。
言われても仕方ないと解ってる。
でも、私とおとやんにとっては、かりんは特別な存在で我が家の要の子だった。
ミニかりんが生まれて可愛いBaby時代5ワンが全員で私達をメロメロにしようとしても(もちろんメロメロでしたが)かりんに対しての特別感というか大切さは変わりなく、増す一方で一番大切で特別な存在だった。
かりんの空けた穴はかりんでしか埋まらない・・・
出かける時も、かりんが喜ぶかを最初に頭に思い浮かべてからそこにミニかりん達を当てはめて皆が楽しいか?で決めてた。
ほんとに、ほんとに大切な宝物だった。
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2014.11.3
かりん
14歳3カ月4日で永眠。
2014年5月から腎不全・9月から
甲状腺機能低下症・溶血性貧血・
急性膵炎と連続で襲われ、懸命に
闘いましたが残念ながら
お空にお引っ越ししました。
2016.1.20 せいん
13歳9ヵ月3日で永眠
2006にリウマチ発症
リウマチになって約10年
いっぱい頑張ってお空にお引越ししました
2017.7.18 かのん
15歳3ヵ月1日で永眠
腎不全・膵炎・甲状腺機能低下症他を
コントロールしていたところ、
皮膚型リンパ腫を発症しあっという間に
お空にお引越ししました。
2017.12.16 しおん
15歳8ヵ月で永眠
急激な悪化・展開で闘病12日間という
短期間であっという間にお空にお引越ししました。
14歳3カ月4日で永眠。
2014年5月から腎不全・9月から
甲状腺機能低下症・溶血性貧血・
急性膵炎と連続で襲われ、懸命に
闘いましたが残念ながら
お空にお引っ越ししました。
2016.1.20 せいん
13歳9ヵ月3日で永眠
2006にリウマチ発症
リウマチになって約10年
いっぱい頑張ってお空にお引越ししました
2017.7.18 かのん
15歳3ヵ月1日で永眠
腎不全・膵炎・甲状腺機能低下症他を
コントロールしていたところ、
皮膚型リンパ腫を発症しあっという間に
お空にお引越ししました。
2017.12.16 しおん
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急激な悪化・展開で闘病12日間という
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