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  4わんとの日々・・・
                       
   
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かりんが亡くなって、自分でもびっくりするほど予想以上にロスが酷くて病院に最後の日の支払いも行けない状態。
必要最低限の買物と仕事以外はほとんど引き籠り。
何処を見てもかりんとの思い出があり、かりんの事を知ってる人に会うと説明しないといけないから誰とも会いたくなくて…(-。-;
まだ会った人に説明する時に泣かないで説明出来ない状態なのでね。
病院に行かなくちゃと思うと胸が苦しくなりバクバクしてきちゃう。
あの空間に一人で行く勇気が出ない・・・
せりかママにはメールで色々伝えておいた。
R先生もまだ計算してない様だった・・・

それに甘え、しばらく行けないままを過ごしていた。
おとやんも仕事が忙しくなかなか休めないし、ポジティブ思考のはずのおとやんもかりんの死は相当なダメージの様でなかなか病院に行けないみたいだった。

25日、やっとおとやんが午後休を取れたので病院に行く事にした。
R先生にも最後の日の説明を聞かないと前向きに考える為のスタートラインにも立てなかった。
本当は連絡してから行くつもりだったけど、そのまま午後診療時間に病院に到着。
R先生が最後の輸血前の血検の結果とコメントを書いた紙を渡してくれて、説明を丁寧にしてくれた。
最後に輸血で可能性にかけた事、結果的にかりんは亡くなったので先生もあの時に家に帰せば良かったか?とずっと考えてしまったようです。
この判断は獣医師として何回も経験しているけど、毎回悩むところらしい。
実際、私達の面会の直前にお話ししてた方達は数日前にワンコが亡くなった飼主さんで、最後、酸素室に居れば1~2日は生きられただろうと思ったけど、飼主さんにお帰しし、家族の方皆で看取る事ができたようです。
1日でも長く生かしたいと思う飼主さんもいるし、難しい選択だよね・・・

カルテを見せていただきながら輸血の状態やかりんの状態を説明してくれた。
数十分おきのチェックがカルテにビッシリ書いてあった。
尿道カテーテルも入れて、尿色を確認しながら心拍数・呼吸様式・体温など状態をチェックしつつ輸血をしていたとの事。
かりん、急変する15分位前(午前8時40分)まで順調だったらしい・・・(涙)
8時55分のチェックの時に新しい輸血のパックを用意して持っていくと急変したって。
急いで酸素室から手術室に移動して蘇生処置をしながら我が家に連絡をしてくれたみたい。
午前5時40分頃は輸血の効果で粘膜の色もピンクになってきて、先生にも呼ぶように吠えたって。
この時が一番この一晩の中で状態が良かったみたいです。
外部に出していた嫌気細菌の結果は陰性。
かりんの体には特に悪さをする細菌は無かったという事らしい。
解剖をしていないので確定判断はできないけど、
最終的には膵炎の影響で溶血性貧血が悪化し、循環機能の低下から血液の不足がおき加速度的な腎機能の悪化で亡くなったのではないかとの事だった。
私も最後はきっと多臓器不全になっていたのだろうと思っていた。
溶血性貧血の後明るい兆しが見えてきたけど、やはり溶血性貧血のダメージは大きかったと私も感じてた。
ただね、最後の血液検査も少量の採血に抑えたから色々とは検査できなかったけど、電解質の数値とかは正常値のものもあるし、かりんを見ている状態よりも悪い数値ではなく、助かる可能性を秘めていた。
腎機能も末期の腎不全状態の子に比べたらまだぜんぜん大丈夫な数値だったと・・・
だから、R先生も私達飼い主と同じレベルで最後まで諦めずに一緒に闘ってくれた。
最後に諦めて家に連れて帰ればと後悔もしたけど、あの時に助かる可能性を秘めていた状況で治療を止めて家に連れて帰っていたら?と考えた時にそれはまた後悔になっていたと思う。
やはり、R先生にお任せして良かった。
ぷりうらから16年以上お世話になってるのは間違いが無かったと改めて思った。

もしかしたら、MRIやCTなどを撮り、全身くまなく検査したら本当の病気が他に隠れていたのかもしれない?と思ったりもしてます。
もう少し一気に襲って来なければかりんは頑張れたかもしれません。


かりん、本当に最後まで頑張ってたんだなぁ~
というのが解り、余計に膵炎が憎い!!
ある意味、かりんはかりんらしくお婆ちゃんぽく見えないまま旅立ったのかもしれない。
連休でおとやんも私も揃っている日を選んだのかも・・・
出産の時もそうだったよねぇ~
良く飼主でも見てない時に出産するとか聞いた事あったけど、かりんは私だけじゃなくおとやんまで呼んでこれから産むんだから一緒に居ろと言った。
子育ても他の母性の強い母犬ちゃんは飼主にも触らせないようにしたとか聞いたけど、かりんは私にもおとやんにも子育てを一緒にしろと言った。
いつも私やおとやんの間に居たかりん。
一人っ子時代があったからかもだけど、飼主と遊ぶのが大好きだった。
いつまでも若々しいままだった。溶血性貧血になる直前までお庭でボール遊びもしてた。
だからこんなに短期間で居なくなるなんて思えなくて心が全くついて行かないよ。

R先生の説明を聞いて支払いを済ませキャリーバッグを受け取って家に帰宅したら、ミニかりん全員がキャリーバッグに顔を突っ込み匂いを嗅いでた。
そして、かのんが久々にお尻を丸めてリビングを走り回った・・・・
まるでかりんが私達と一緒に帰宅したかのようだった。
かのん、見えるタイプだから見えてたのかな?
かりんが具合悪くなってからお尻丸めて走り回る事が無かったのに・・・

そうそう、かりん!
かのんにいつ教えたの?
かりんが亡くなってから火葬するまでの間、かのんはかりんが寝ている隣で守り神の様にしていたの。


かりんがまだ生きてる最期の4ワンでの写真


かのんはかりんの所に寝てるでしょ?(笑)

ぷりうらが亡くなった時に、かりんが同じ様にぷりうらの亡骸の守り神をしてたんだ。
ミニかりんが近付くとガルル~って怒って近付かせなかった位。
それをかのんが受け継いでたよ。
亡くなる前もかりんが闘病している隣に寄り添って守り神してたよね?(↑写真)
やはり、かりんがかのんをナンバー2と思っていたのか?かのんに対しての躾や態度が他の2ワンに対してと違っていたの。
生前かりんは『私の後はあなたがボスだ』とかのんに言って躾けてたのかな?


まだまだダメダメ飼主で毎日の様にかりんに逢いたいと言って泣いちゃう状態だけど。
これから少しずつ、かりんを最初に思い浮かべて出掛ける場所を決めていた脳をミニかりんにシフトしていかないといけないね。
きっとかりんにはまた逢えるから・・・
また14年前のように『やっと逢えた』と思う時が来るから・・・
絶対にみつけるよ!
かりんが頑張って産んで育てたミニかりんと毎日を大切に生きていくからぷりうらと一緒に見守っててね。
かりんの楽しそうな好奇心旺盛な笑顔が大好きだったよ。
この笑顔を見たくていつもお出掛けしてた。
またね…

う~まだ苦しい・・・
分離不安になってるのはかりんではなく、私自身なんだとつくづく思い知らされてます。
記録を書くのに大泣きながら書いたよ(^^ゞ

いっぱい頑張ったかりんをどうか皆さん褒めてあげて下さいm(__)m

そして皆さん、今まで心配と応援をしていただいて本当にありがとうございましたm(_ _)m

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かりんの闘病は終わった。
何とか助けたかったけど助けられなかった…
かりん
助けられなくてごめんねm(_ _)m
最期に一緒に居てあげられなくてごめんねm(_ _)m
本当にかりんはいっぱい頑張って偉かったよ。

電話で伝えると泣いて言えないので、実家に電話したくなかったけど、かりんと会いたがっていた母に連絡してかりんが死んだ事を告げた。
電話口で母も泣き始めたので私も泣いてしまった。
後で来るとの事で電話を切る。

おとやんも帰宅して食べ物をかりんに置き、お花を供えた。
午後になり、クッキーママ家がお出掛け中にも係らずお悔やみにきてくれた。
いっぱい心配や応援をしてくれて本当にありがとうm(__)m
綺麗で立派なお花やお菓子もありがとうm(__)m
かりんがまだ溶血性貧血で闘病する1週間前に最後のおデートできて本当に良かった。

その後、もなママからも電話があり電話口で絶句して泣き崩れていたよ。
夕方になり、実家の母・兄夫婦・姪っ子1がお悔やみに来た。
あすかも来たよ。久々に会ったあすか、かりんと同じ14歳なのに落ち付きがない。
色々あったあすかより、かりんが先に逝くなんて思ってもみなかった。
そのすぐ後にもなママも到着。
しばらくして、モモちゃん家もお悔やみに。
病院でも何度かあっていて、ずっと心配してくれてました。
お花やお菓子をありがとうございます。
もなママはしばらく残ってお話をしてくれてたね。
今日はもなママ○○歳の誕生日。かりんの命日になっちゃったね。

夜にはかりんの弟ロンが居た従兄と伯母からも電話があった。
伯母が『かりんはロンの倍生きたじゃない。』って・・・
私がしばらくはダメだ。と言ったら従兄は『家族だからね…』と言ってた。

皆が帰ってから、静かになった我が家。
まだぜんぜん信じられず、かりんを見ていても今にも動きそう。
もなママもジーっと見てると瞼が動いた様に見えるって言ってた。

この日の夜、今までの疲れとかがあるので早目に布団を敷いて寝る準備をし始めたら、急激に寒気と悪寒に襲われた。
でも病的な感じではないの・・・
明日は仕事に行くし、万が一の為に葛根湯を飲んでから寝る事にした。
布団に入ってもガクガクブルブルが治まらず、毛布もかけてみた。
ミニかりんが全員私の布団の中に入ってきてくれて、しばらくすると寒気も悪寒もなくなった。
かりんの仕業???と思うほど。
後で色々なブログを呼んでいたら、愛犬が亡くなる前後で私と同じ体験してる人の記事が数件あった・・・やはりかりんの仕業かもね。

火葬は少し時間を置くことにした。
入院から闘病中も数週間一緒にいる時間が短かったし、抱っこもさせてくれなかったから。
水曜日のおとやんのお休みの日の午後に決めた。
連休明けの仕事を終え、家に帰宅してもかりんは動かないまま・・・
抱っこしたくて抱き上げて、抱きしめてひとしきり泣いた。
かりんの寝ている隣にクッションを置き、かりんの前足を握りながら気付いたらうたた寝してた。
おとやんも早目に帰宅してきたよ。

火葬の日、早朝からかりんをまた抱きしめた。
仕事から帰って火葬に向かうのに時間的に余裕がないだろうから今のうちに最後に抱っこ。
おとやんも『おれも抱っこしたい』と言ったので、抱っこしてひとしきり泣いた。
私が仕事に行っている間におとやんに皆さんに頂いたお花とかおやつを入れて旅立ちの準備をお願いしておいた。
帰宅したら綺麗に旅立ちの準備をされたかりん。
また泣き崩れてしまった。
お庭に辛うじて咲いてたラベンダー、部屋にある観葉植物も入れてあった(笑)
軽くお昼を食べ、もなママともなかが参列してくれる事になっているので、もなママを待った。
来たので、2台で出発。
斎場にはせりかママ・せりかも来てくれる事になっていた。
最後に斎場の方に『お水を口に』と言われ、人間の時の様にお水を口に含ませた。
もなママはショートケーキをかりんの為に買ってきてくれたので、入れてあげました。
そのうちせりかママ・せりかも到着。
持ってきてくれたお花を入れて最後にかりんが産んだかりんの分身ミニかりん5ワンでお見送りしたよ。
皆でお話をしながら待ち、焼きあがったので皆で骨を拾った。
Mダックスの女の子でも大柄だったかりんでもこんなに骨は小さいんだね・・・
斎場の方が骨の説明をしてくれて、丁寧に骨壷に納めてくれた。
外に出て暫くお話してから皆とお別れした。


何でこんなことになっちゃったんだろう?
ここ数ヶ月、毎日言っていた言葉…

今年の5月でフィラリアの検査の時に腎不全が解った時までは、大きな病気一つしなくて元気なシニアだったのに。
腎不全の為にフードを変え、オヤツもあげられなくなり、かりんと私の間に少しだけ溝ができてしまった。
腎臓の機能が少しでも長くもつようにと、余計な物はあげないように徹底した。
腎不全ならお友達ワンも去年から頑張ってるし、今も元気にしているからきっとかりんも大丈夫。
でも、胸のモヤモヤ感がずっと取れなかった。
かりんも訳わからずのまま、私が今までのオヤツやパン・お肉のかけら、野菜の切れ端もあげずにいる事に不満そうにしてた。
そんな状態のまま7月にかりんがブルブルした時だけ眩暈があり、9月上旬に甲状腺機能低下症の検査がビンゴ。
これはホルモン剤でコントロールできるからと言われ一安心し、ホルモン剤の効果が出てくるのが3週間位なので1ヶ月位で検査して薬の調整のはずだった。
あと1週間位で薬の調整に入れると思った矢先、9月中旬に大量出血で溶血性貧血が発覚。
1泊の入院と輸血で無事に帰って来てくれ、高用量のステロイドと免疫抑制剤で一気に叩く。
3週間経ち、投薬効果で再度の輸血なしで溶血性貧血を克服できる兆しが見え、『流石かりんちゃん。凄いねぇ~頑張ったね~』と言ってかりんを褒めてた。
これでやっと胸のモヤモヤが消えて、元気なかりんちゃんが戻ってくる。そう信じてた。
あと少し頑張れば薬量も減らせるし、少しだけ美味しい物も食べさせちゃえなんて思ってた。
貧血との闘いで体力も落ち、免疫力も落ちてるから徐々にリハビリもしないと。
と思ってた。
良い結果の血液検査に我が家に久々に明るい光が差したはずだった。
それなのに、その喜びは一晩で終わった。
次の日からの体調不良。

急性膵炎と解って即入院。
何で、ここまで3種類の病気と闘って頑張ってるかりんに追い打ちをかけるように膵炎まで襲うの?
本当に頑張ってたのに・・・

今までかりんに頑張れと言い、いっぱい頑張らせた事を悔やんだ。

腎不全だからと色々あげない様にしていた事を悔やんだ。

こんなに早くお別れが来るのが解っていたなら、腎不全なんて気にせずに色々たべさせてあげればよかったと悔やんだ。

もし、腎不全が5月に軽度で解っていなければ、もっと長い時間かりんはストレスなく美味しいモノを食べれて、ストレスによって他の病気の誘発にならなかったかもしれない・・・
かりんが助かるならと退院して『家が最高』と言って安心しているかりんを毎日静脈点滴で病院に預け、一緒に居る時間が少しになってしまった事を悔やんだ。

心のどこかでもうかりんは厳しい状態だと解っていたのに、最後の最後まで望みがあるならと頑張らせてしまった事を悔やんだ。
延命治療はしたくないと先生に告げ、先生も了承してくれて、そうならない様にしていたのに最後は結局逝かせたくない逝かせ方になってしまった。

退院してるから家にいる時間は増えたとはいえ、午前中は仕事でお留守番、帰宅してすぐに病院に預けて19時のお迎え。
これじゃ1日の殆どがかりんと離れ離れだった。
どこかで諦めて家で緩和ケアにし、ずっと一緒に居てあげた方がかりんは嬉しかったのかもしれないと悔やんだ。

膵炎で退院してからフラフラして歩いてるかりんに、歩けなくなったら困るからとなるべく自力で歩けるようにと移動するのも自力でさせてた。
自宅療養していたかりんは、体がだるいのか?抱っこを嫌がってあまりさせてくれなかった。
かりんに一人で逝かないでと仕事に行く時の待っててねも夜寝る時の絶対一人で逝かない様に起こしてねもかりんは守ってくれてたのに・・・
せりかママに最後に吠えたのは『家に帰りたい』だったのかもしれないね・・・
一人で頑張らせて本当にごめんね。
私の腕の中で逝かせたかった。

14歳になり、寿命はそう遠い何年も先ではないだろう。
腎不全になってしまったからここ1~2年かな?
ここからがかりんの生涯最後の大切な時期、ここからが今までの14年間より内容の濃い時間になるだろう。
これからのかりんの老い一つ一つを噛みしめながら、ある意味それを見ていられる事を楽しみながら過ごしていこうと思っていた。
かりんのお婆ちゃんを大変でも楽しもうと・・・だけど、かりんは元気な時と変わらない姿で14歳に見えないままのかりんで一気に旅立ってしまった。
今でもまだ信じられない、短期間すぎて心がついていかない。
もっと、かりんお婆ちゃん見たかった。
世話が焼けるなって毎日抱き締めたかった。
ずっと元気印だったかりんの最後がこんな終わり方だと思いたくなかった。

14歳3カ月と4日。
我が家に来てから14年と1ヶ月弱。
長い様であっという間だった。
我が家の危機を何度も救ってくれた。
この家はかりんを迎える為に建てた様な家だった。
かりんの存在を知らず、この家を建て引っ越してきた10日後にかりんはこの世に生を受けた。
かりんと共に年を重ねた家。
かりんの居ない冬を始めて迎える事になったね…
引っ越ししたらいずれ近いうちにワンコを飼うというのが兼ねてからのうち等の夫婦の希望。
引っ越しも落ち付き始めた頃、かりんの話が来た。
かりんの弟ロンが従兄の家に来たから。
Mダックスが一番人気だった頃。
会いたいなぁ~と思いながら、その当時欲しかったのはGレトリバーだったので考えてしまったけど、おとやんに大型犬だと介護が大変だし、寝たきりになってしまったら一人で病院に連れて行けないでしょ?と言われていた。
だったら、静岡に会いに行こう。と決めた。予定は一週間後。
その間、やっぱり会いに行ったらきっと連れて帰らないなんて無理だよね。と二人で話。
1週間の間でダックスの本を何冊も買い、ケージやその他必要な物全てをショップの人と相談しながら揃えて、何色の子なんだろう?色さえも解らないまま、名前もある程度決めてから会いに行くことに。
私は本当にやっと会えると心の底から嬉しくて待ち遠しくて、前夜から興奮して眠れなかった。
ぷりうらも連れて行った。
先に従兄の家に行き、ロンに会った。
『可愛い』
すぐにかりんに会いに出かけた。
玄関のサークルにいた2ワン。
思わず『可愛い~』と叫んだ私を振り返りながら見たのがかりん。
その時のニマっと笑う笑顔のかりんの顔が今でも忘れられず、すぐにこの子と私は決めた。
やっと会えたという感覚に近いと思う。
かりんはすぐに『誰でしゅか?』という顔をしてたね。
2ワンの女の子どちらでも良いと言われ、おとやんは妹のハナちゃんを気に入った。
え~っ!!と思ったけど、大切な子だからと慎重に検討。
おとやんがハナちゃんを抱っこしたらビクビクしてる感じ。
次にかりんを抱っこしたらしっくりときて落ち付いた。
これで、私の第一印象通りかりんに決定。
ぷりうらも一緒に暮らすし、ビクビクしてたハナちゃんだと対応できないかも?というのも決定の一因。
かりんを譲っていただいたお家の方が、最後に抱っこさせてと言ってかりんを抱っこし、幸せになるんだよと言っていた。
絶対にしあわせにしようと心に決めた。
そして、この子は育てるの大変かも?と言われた(笑)
一番大きくて、一番最初に生まれて、一番食いしん坊で他の子のご飯も食べちゃう位だったって。
脱走も上手で気付くと一人で脱走してリビングで寝てたって・・・
大きさや食いしん坊はまるでかのんみたいだね(笑)
だからかのんを最初に残すと決めたんだけど・・・
まぁ我が家に来てからまさかフードジプシーするほど食べてくれない事に悩むなんて想像もつかなかったよね。
子供を産んだら食いしん坊に戻ったけど・・・
脱走の名人はしおんに受け継がれてたね。
ミニかりん返しもあっという間に攻略されたよ。

かりんをおとやんが抱っこして私が運転し、母が後部座席に座った。
車を動かし始めた途端、かりんが泣き始めた。
ここのお家とママとハナちゃんとさよならって解ったんだね。
しばらく走っても泣きっぱなしのかりん。
途中、止まった所で母が私が抱っこすると言い出し、おとやんと交代して母が抱っこしたら落ち着いて泣かなかった。(笑)
これが母の自慢?(笑)既にかりんにメロメロになった母。
従兄の家に戻り、1週間違いで従兄の家に来たロンとご対面。
兄弟だから覚えていて、二人でじゃれあってた。
かりんは従兄の家が興味津津であちこちウロウロし、ロンの残したご飯を食べた(笑)
この時から好奇心旺盛な子だったんだね。
食欲もあるみたいだから安心。
しばらくロンと遊ばせてから帰宅する事に。
静岡から家に到着するまで母が抱っこして、寝てきたかりん。
母を実家に送り届、この家に到着。
生後70日、お疲れちゃんと、初めての場所でソファに乗せたかりんはネムネムだったね。
不安そうな顔忘れないよ。
その後、すぐに私のストーカーになり、私が育児ノイローゼになりそうと思う位姿が見えないとキューンキューン鳴いた。
私がトイレに行けば、トイレの前までキューンキューン鳴きながら来て、私がトイレのドアを開け一歩踏み出すとしっこの海に足をビチャ(^^ゞ
何度も靴下を濡らされたよ。
ぷりうらとも丁度良い距離をすぐに掴み、上手に遊べるようになった。
ほんとに可愛かった。
かりんは我が家に全てがピッタリで好みの性格だった。
走るのが得意で、自分でも自信があったと思う。
とても敵わないボーダーちゃんやサルーキーちゃんにも負けない様に追いかけっこで挑んだ。
はっちゃけ娘だけど、落ち着きもある子だった。
人間の子供も好きで上手に相手できた。
お散歩デビューで柴犬に追いかけられトラウマになり怖がって吠える様になった。
森林公園ではいっぱいお友達できたね。
先に旅立った友達にもう会えたかな?

ほんとにほんとに淋しい。

この1ヶ月毎日、仕事から帰って『かりんちゃんただいま〜何処に居るの?』と声をかけてしまう。
『逢いたい』とずっと言ってしまう。
おとやんに木蓮の涙みたいだねと言われ、ほんとそうだ。あの曲のままだ。
言われた次の日に聴きたくてyoutubeで探したらチョコラブちゃんと歌詞が出ていて思わず開いた。
もう始まって直ぐに大号泣。
私と全く同じ気持ちでこの曲でこの動画を作ってる人が居た事も嬉しかった。
動画に出てくるチョコラブちゃんが幸せそうな顔で飼い主さんに物凄く愛されてた事が伝わってきた。
チョコラブの飼い主さんのブログが無いか探したら見つけた。
その子の亡くなった頃の記事を読んで今の自分と全く同じ心境だったことが解った。
なんとなくホッとした。

かりんはしあわせだったかな?
病院を退院する日、退院の準備をしてもらってる時、処置室で待っていると耳が遠くなってきたはずのかりんがちょっとした音にも反応してた。
それだけ、神経が敏感になってたと解り家に出来るだけ居させてあげたいと思った。

4ワン居ると、他の子も居るからとか14歳なら仕方ないって言われる。
言われても仕方ないと解ってる。
でも、私とおとやんにとっては、かりんは特別な存在で我が家の要の子だった。
ミニかりんが生まれて可愛いBaby時代5ワンが全員で私達をメロメロにしようとしても(もちろんメロメロでしたが)かりんに対しての特別感というか大切さは変わりなく、増す一方で一番大切で特別な存在だった。
かりんの空けた穴はかりんでしか埋まらない・・・
出かける時も、かりんが喜ぶかを最初に頭に思い浮かべてからそこにミニかりん達を当てはめて皆が楽しいか?で決めてた。
ほんとに、ほんとに大切な宝物だった。

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10月25日(退院8日目 急性膵炎13日目)
朝食 6時20分 ミルク1回  6時30分 消化器サポート1回  7時30分 ミルクで投薬・ 鉄剤
10時 消化器サポート1回  11時20分 ミルク1回  14時15分 消化器サポート1回
16時45分 ミルクで投薬  17時15分 消化器サポート1回  18時50分 消化器サポート1回
21時 消化器サポート1回  21時30分 ミルクで投薬  22時45分 消化器サポート1回

11時:排便排尿   14時20分:排便排尿
状態は全く変わらず、尿の色が濃くなってきている・・・


10月26日(退院9日目 急性膵炎14日目)
朝食 6時57分 消化器サポート1回  7時50分 ミルクで投薬  8時15分頃?嘔吐
8時35分 消化器サポート1回  12時投薬  13時05分 消化器サポート1回
15時15分 消化器サポート1回  

朝から病院へ
エラスポール5回目  造血剤2回目  排便排尿は問題なし。
体重4.76キロ  体温38.4
床ずれの処置、死んだ組織を掻きだしホチキスの縫合で仮止め。
吐いた分の投薬は昼に飲ませる。
次回は火曜日・・・
せりかママから静脈の点滴に来れないか言われる。
治療に関して今まで口を一度も挟まなかったせりかママが初めて訴えてきた。
おとやんと相談してみますと伝えた。
これは静脈点滴していかないとかりんの生命に関わるんだと悟った。
かりんの脱水症状や床ずれの状態からして静脈点滴がベストとの事、家に帰ってからのメールでのやりとりでせりかママが伝えてくれた。
私が仕事から帰宅後すぐに病院に連れていき、診察時間ギリギリまでの静脈点滴でも効果があるのかも聞いたけど、午後からでも効果があるから連れて来て欲しいとの事。
仕事がおわってすぐに連れて行っても、午前の診察時間は過ぎてしまうのだけど快く対応してくれるとの事。
床ずれに関しては、飼い主が使っている枕が低反発の枕で中のスポンジの量を自分で好みに調節して使うもので、おとやんがあまり高さがあるのが好みではないので、スポンジがいっぱいあまっていた。
そのスポンジと以前使っていた低反発枕を組み合わせてかりんの特性ベッドを作ってあげた。
そのお陰か?特性ベッドに寝てからは床ずれは増えないし、状態も良くなってきた。

10月27日(退院10日目 急性膵炎15日目)
朝食6時30分 消化器サポート1回  7時投薬
朝一のご飯の後にトイレで排便、良いうんP!!
今日から濃い目のフードにしてみる。
朝一のフードは食べた。
おとやんが代休を取ったので、朝から静脈点滴に行って貰う。
19時診察時間ギリギリに迎えに行く。
体重4.7キロ 
CRP4.2  WBC19000  Hct25%
全体的に数値が改善してきた。
床ずれも肩、足の状態は良くなってきている。
でも、お尻の右側にも膿が溜まっている様な感じだったので処置して貰った。
表面の傷がほぼない状態なので、床ずれ?かわからない。
あとは自力で食べてくれる様になれば・・・
家に帰ると、歩けなくなってる(涙)

10月28日(退院11日目 急性膵炎16日目)
6時30分 消化器サポート1回15ml  6時40分 投薬  7時30分 消化器サポート1回

状態が全く良くならず、ストレスと苛立ちが増してきた。
膵炎は対処療法しかなく、根気よく我慢しなくてはいけないのは解っているけど、このままじゃかりんは衰弱死してしまう様な気がする。
かりんが一番辛いのに・・・飼い主がこれじゃダメよね。

昼からいつもの様に静脈点滴へ
おとやんも早目に帰宅したので一緒に19時すぎ迎えに行く。
状態は変わりなく、相変わらず食べたがらない・・・
学会で膵炎の講演がありH先生が受講し内容のレポートを書いていた。
そこにR先生が自分で色々調べた物がいっぱい書き込まれ、色々と考えてくれている事は解った。
まだ、膵炎の治療でかりんに施していない治療があるので、まだそれを試す前の段階との事。
床ずれは良くなってきている。
ササミを久々にボイル。
食べなかったけど、少し興味を示して一度口に咥えてからペッ出した。
トイレに立たせても崩れる様に倒れる。
それでも何とかバランスを取って昨日の朝以来少し歩いた。
だんだんもうここまで衰弱しているかりんが復活するのは無理なのでは?と思い始める。
先生には延命治療だけはしたくないと伝えて了承して貰う。
無駄に辛い時間を長くしたくないから。
R先生はもちろん延命の為だけではなく、今までの様に走ったりは難しいけど家の中で自由にのんびり動けて生活出来る事を目標にして治療しているとの事。


10月29日(退院12日目 急性膵炎17日目)
今日から1回の量を多めにする。
5時20分 手作り1回  7時30分 消化器サポート1回 薬  12時35分乳酸菌
16時30分 消化器サポート1回  19時20分 消化器サポート1回  19時25分投薬
20時10分 嘔吐  21時50分 消化器サポート1回  0時 手作り1回

朝一の便は軟便、ミルクのせいか?
なので、お昼すぎに以前貰ってある強力な乳酸菌を飲ませた。
12時30分 トイレで尿。
元気はなく大丈夫か心配。
ネットで色々と調べるけど、かりんの様に溶血性貧血・腎不全・甲状腺機能低下症の併発は無いので参考にならない。
でももし免疫の関係であるならステロイドが効果あるのでは?と探してみるとある病院のブログ記事に免疫からの膵炎の記事を見つけたので明日病院で相談しよう。


10月30日(退院13日目 急性膵炎18日目)
6時20分 消化器サポート1回  7時20分 投薬  12時20分 投薬

お昼の投薬後、病院に静脈点滴に行く。
体重4.56キロ
受付でせりかママに『このままの治療で良くなるとは思えないし、衰弱していっているので体が持たないと思うからステロイドを使えないか?聞いて欲しい』と伝えて点滴で預けた。
飼主からステロイドを使用して欲しいなんて普通は言わないよね・・・(^^ゞ
19時ちょい前迎えに
先生からは胃瘻の提案。
もう今のかりんにこれ以上は可哀相で胃瘻の事は断った。
床ずれの膿を培養して合う抗生剤を決める。
貧血の為にステロイドを使う事になった。
膵炎だけならステロイドを使う状態ではないと言われる。
体力がもつか心配・・・
なぜ良くならないのか?何が悪いのか?解らなくてストレスになる。

20時40分 手作り1回  21時20分 投薬・乳酸菌  22時20分 消化器サポート1回
23時15分 手作り1回

シリンジであげていると1回の後半少しを口に入れたまま飲み込まなくなってきた。
そのせいか気管に入ってしまったのか?ケホケホした。
無理にシリンジでたべさせる事がもう限界なのか?
胃瘻するべきなのか悩む。胃瘻の処置に耐えられる気がしない・・・


10月31日(退院14日目 急性膵炎19日目)
6時50分 消化器サポート1回  7時20分 投薬

朝のフードはちゃんと全部飲んでくれた。
反応も夕べより少し良い気がする。
今日も『お仕事だから行くね。絶対に待っててよ』とかりんの耳元で伝えて出勤。
お昼すぎに帰宅して投薬してから病院へ。

19時前に迎えに
体重4.52キロ 体温37.7
体温が下がってる・・・
A先生の説明。
朝食で食べたフードを点滴開始の頃に嘔吐。
胃からの嘔吐物ではなく、食道からの吐出物との事。
嫌な予感がする・・・まさかここにきて巨大食道症?もうこれ以上は無理!
かりんをこの辛さから助けるには死しかないの?と考え始めた。
背中にも膿の溜まっている場所が見つかり、針で抜いたとの事。
この塊は私も気付いていたけど、皮下点滴のせいかな?と思っていて先生には伝えてなかった。
昨日の膿の培養検査は細菌が検出されず、嫌気細菌の可能性があるので外部に出して良いかきかれたのでお願いした。
この結果が2週間ほどかかると言われ、心の中で『それまでかりんは生きていられるのだろうか?』と思ってしまった。
膿がある為に高用量ステロイド投与は見送り、1錠からの投与で開始する事に。
胃瘻を断っているので、鼻チューブを勧められる。(A先生・せりかママ)

シリンジでの給餌や投薬に限界を感じているのと、誤嚥性肺炎が心配になってきたのでおとやんと相談し、明日は朝から点滴に行き鼻チューブをお願いしよう。


11月1日(退院15日目 急性膵炎20日目)
6時45分 消化器サポート1回 6時50分 乳酸菌  8時10分 投薬

夕べからステロイドを投薬したからか?少し表情が良い気がする。
ステロイドが効果ある?期待したい。
食事はやはり何か口に入れると少しケホケホして出さないけどゲェーってする。
朝一で病院に行き、巨大食道症の為の検査でバリウムを飲ませてレントゲンを撮る事に。
バリウムを飲ませる前に1枚、飲ませてからしばらく待ってから撮影の為一度かりんが私の所に戻る。
抱っこしているとなんか力が入ってなくてダランとした感じがあったので慌てて立て抱きして『かりん?』と呼ぶと普通にしてくれてた。
えっ?逝った?と思った位ビックリした。
暫くして再びレントゲン撮影に連れて行かれ、直近の撮影画像を見ながら説明。
体重4.42キロ 体温37.7
とうとう我が家で一番軽くなってしまった(涙)
R先生から巨大食道症までにはなっていないけど、初期の状態かもしれないと。
胃瘻・首切開・鼻チューブのどれかで栄養を補給した方が良いと言われた。
もし、延命治療だけならもうそれもしたくないと伝え、先生も『治療の為の時間稼ぎです』と言った。
治療が上手くいけば胃瘻も取れるとの事。
おとやんと説明を聞きながらどうするか考えていたけど、かりんを抱きしめながら私はもう声を発すると涙が出てきて正気でいられなくなる状態になっていたのでおとやんに決断をお願いするべく目で合図するしか無かった。おとやんが鼻チューブを選択し、点滴で預けてお願いする。
夜、迎えに行ったら、鼻チューブを装着されたかりんが診察台に居た。
他の先生から鼻チューブでの給餌や投薬のやり方を教わり、R先生の説明を聞く。
レントゲン写真を見ながら説明。何時間か置きに撮影数回。
やはり時間が経っても食道から胃に流れているけど残っているものもあり食道の送りが悪くなっているのだと思うとの事。
これは衰弱している事も原因の一つなので、ステロイド投薬や鼻チューブでの給餌で体力を維持して良い方向に向かえば改善される可能性があるとの事。
ステロイドを今夜から2錠の高用量投与開始し、一気に改善も期待する事に。
今までずっと『頑張れ』と言えなかったけど、今夜から鼻チューブの期限が1週間なので1週間限定で最後の勝負をしよう。
頑張れ週刊のスタート『頑張れ』とかりんに言い続ける事にした。
先生もまだ諦めていない。
今まで言えなかったけど、『頑張れかりん』『かりんはスーパーmamだから大丈夫』『元気なかりんちゃんに戻ろう』と言い続ける。
『また皆でお出掛けしよう』
家に帰り、鼻チューブでの投薬、給餌
かりんにとってもストレスなく胃に直接入るので良いみたい。
私も恐怖感やストレスが無い。
鼻チューブされた姿は可哀相すぎるけど、こんなにお互いストレスから解放されるならもっと早くやれば良かったと後悔。

鼻チューブ装着のかりん。


左からポカリ、消化器サポート、乳酸菌。
シリンジに入れたのを鼻チューブのピンクの部分から注入。
これなら、消化器サポートもいっぱい入れられる。

11月2日(退院16日目 急性膵炎21日目)
6時50分 消化器サポート1回 7時20分 消化器サポート1回  7時30分 投薬 乳酸菌
8時40分 消化器サポート1回  10時50分 犬用ポカリ・ペットチュニック(鉄剤)
13時10分 消化器サポート1回 投薬 ポカリ
13時20分 消化器サポート1回 ポカリ  13時40分 消化器サポート1回 ポカリ

ずっと心配してかりんに会いたいと言っていた母からまた心配の電話。
もう少し元気になったら連れていくと言ってから膵炎になったから行けなくなってた。
来週水曜にかりんを連れて最後の挨拶に行くと告げて電話を切った。
私はずっと心のどこかでお別れがそう遠くないと予感していたと思う。
毎日、寝る前に『一人で逝かないでね』『絶対に起こしてね』と言い、仕事に行く前も『絶対に待っていてね』と伝えて出勤してた。
夜中も1時間前後毎で目が覚めかりんの呼吸を確認する。のが日課になってた。

多少ケホケホするけど嘔吐なし。
歯茎が白いのでペットチュニック(鉄剤)投与。
体温が低く感じるし、歯茎が白い。
病院に電話して聞いてみる。
体温に関しては温めるしかできない。歯茎が白いのは貧血のせいだから輸血するか決めて欲しいとの事。
輸血するにも準備がいるので明日朝一で輸血に連れていく事にした。
カイロをかりんの寝ている下に入れ、かりんに毛布とかを掛けて暖めた。
夕方熱を測ったら、だいぶ上がってきて安心した。

夕方、おとやんが帰宅。
やはり歯茎の白さと元気の無さで心配になり病院の緊急に電話。
R先生は往診に行っているみたいで他の先生が応対。
ちょっと今までと違う事を言われておとやんの電話対応が不機嫌になる。
折り返し電話をする事で一度電話を切り、私におとやんが電話の内容を説明。
???になる事ばかりでビックリ。尿が出てないかも?と言ったら腎臓が機能してないって・・・他にも???な事ばかり言われ(@_@;)
もう一度電話。おとやんが出たのが他の先生だと思い。
R先生と話させてくれとお願いしたら出たのがR先生だった。
R先生はいつも言っていた通りの話でもう一度私と相談してかけ直すと言って電話を切る。
今度は私が電話をして話しを聞く。
R先生はいつもと変わりない答えを出してくれた。腎臓が機能してないのに輸血するのは意味がないからと言って、腎臓の数値を測ってから輸血するか決める事になり、すぐに連れていくと告げて病院へ。
すぐに採血し血検へ。
腎臓の数値はCre2.9 BUN51? 腎臓は機能してない訳じゃなかった。
ただ、これだけ筋肉も落ちている状態でこの数値であるとすると実際はもっと悪い可能性もあるとの事だった。
R先生は輸血しましょう。と  僕もまだ諦めたくないから。と言った。
今まで目標にしていた回復よりは少し落ちた状況になるけど・・・とも。
私やおとやんは助かって回復に向かってくれさえすれば、後からリハビリや努力でかりんならきっと先生が最初に目標にした回復に辿りつけると思ってた。
おとやんは機能している事に喜び最後の可能性で輸血をお願いした。
私も今輸血しなければかりんはどちらにしても生きれないと思い最後の可能性に掛ける事に同意した。
ただ、静脈点滴を毎日していたのに腎臓の数値がここまで悪くなっている事にビックリしたのと同時に実際の数値はもっとかなり悪いんだろうと悟った。
後ろ髪をひかれながら、先生にお任せして家に帰宅。
祈るような気持ちでいつ電話があってもいい様にしていた。
夜10時頃、せりかママからメール。
状態は落ち着いている。帰る時に様子を見に行ったら吠えられた。と書いてあった。
吠えるのは膵炎で入院する日の朝以来・・・
頑張れかりん!!


11月3日(退院17日目 急性膵炎22日目)
眠れないまま朝を迎える。
早朝交代でお風呂に入り、電話がないのは順調って事だよね・・・と言っていた。
病院が始まるのは祝日なので10時。
その時に行ける様にしたくしなくては。
9時過ぎ、電話が鳴った・・・・
嫌な予感で電話を取るとR先生の声。
『今呼吸が荒く急変したので気管チューブ入れました』と言われ、『すぐに行きます』と伝えて出発。
病院について手術室に見えたかりんはR先生に心臓マッサージをされている状態だった。
もう意識はなく、先生のマッサージがなければ生きている状態ではなかった。
かりんをさすりながら『かりん、かりん、かりん』と名前を呼ぶ事しかできない。
涙でかりんが見えない。
おとやんも一緒に泣きながら『かりん』と何度も呼んだ。
暫く先生もマッサージを続けてくれたけど、『先生もういいです』と言葉にできない状態だった。
お別れをさせてくれたあと、先生が『チューブ抜きますね』と言って、かりんは息を引き取った。
抱きしめながら『かりん、ごめんね。お家に帰ろう』と言った。
朝まで順調で輸血の交換で新たのを取りに行き戻ったら急変したとの事。
綺麗にするので待合室で待って下さいと言われ、茫然としながら待合室で待っていた。
綺麗に整えて貰って、R先生がかりんを連れてきて私の膝に戻ってきた。
R先生は『お力になれずにもうしわけありません』と・・・
『綺麗にして貰ったね』と言うと、R先生が『○○さん(せりかママ)が綺麗にしてくれました。』と言った。
R先生からは、もし解剖を希望であれば今日中でなければいけないと言われた。

R先生やせりかママ、スタッフの皆さんにお礼を言い、かりんを連れて帰る。
車に乗り、かりんを膝の上に乗せ『良く頑張ったね、さぁお家帰ろうね』と言ってかりんの大きな前足を握りながら帰宅した。
家について車から降りる時も『かりんちゃん、お家』といつもお出掛けから帰って来た時の様に言った。
家に入り闘病していたベッドにかりんを置き、ミニかりんをケージから出した。
ママの所にすっ飛んで行き、匂いを嗅いで悟ったのか私やおとやんのところに飛びついて来た。
すぐに冷やさないと・・・・と思って、保冷剤にタオルを巻いて準備。
かりんの下に置こうとしたけど、まだ暖かいかりん。
『まだ暖かいから冷やしたくない』と言いながら泣き崩れた。
でも我慢してかりんの下と上に保冷剤を置き、洋服をかぶせた。
色々バタバタしていたので、部屋の片づけなどし、おとやんはお花とかかりんに持たせる食べ物を買いに行った。
それから少しして、応援してくれてたお友達やもなママなどにメールで連絡。
ブログでもお知らせした。

4つの病気と懸命に闘ったかりんは逝ってしまった。
溶血性貧血までは何とか回復し、あと少しの状態までいけてたのに。
最期には溶血性貧血や腎不全も牙を剥き始めた。
膵炎が全ての病気を一気に悪化させ、かりんを連れていてしまった。
膵炎にさえならなければ、かりんは今頃元気になりつつあったかも?と思うと膵炎が憎い。

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もう直ぐかりんが旅立ってから1ヶ月になります。
今日から月命日に向けて少しずつかりんの闘病の記録から旅立ち、この1ヶ月の事を書いていくつもりです。
お時間あったらご覧になって下さい。


ずっと見返す事ができない闘病の記録ノート・・・
同じ病気で苦しんでいるワンコと飼い主さんの為に記録を残すという事。
これはせいんのリウマチの時に検索しまくってもなかなか出てこなくて困り果てていた時に思った事です。
同じ様に検索して苦しんでる飼い主さんの為にも我が家の子の記録を一つの参考にして貰えればと思っているからです。
ただ、今回のかりんの急性膵炎に関しては短期間に立て続けに大きな病気が襲ってきた事なので、滅多にこういう状況の子はいないと思うし、なんの参考にもならないかも?
飼い主の私が記録を見返してもう一度同じ状況を体験している感覚になり胸が苦しくなるだけ・・・と思っていましたが、これがかりんが最後に一生懸命闘った記録なので頑張って書いていこうと思います。
急性膵炎でかりんは旅立つ事になりましたが、かりんの様にシニアであり幾つもの病気が一時期に一気に襲ってきた子や劇症型の子の場合で無ければ助かる子もいっぱいいますので気を落とさずに諦めずに頑張って欲しいです。


10月18日一時退院(急性膵炎6日目)
この日の記録は入院記録の最後に書いてあるので省略します。

10月19日(退院2日目、急性膵炎7日目)
入院生活に疲れたのか朝までグッスリ寝たかりん。
朝食 1時間をかけて3回に分けてササミ1本を食べる。
自力で水飲みに行ったり、クッションの場所移動をしている。
リビングの中を見渡し、『やっぱりお家はいいなぁ~』って言ってるみたいだった。
陰部より薄い黄色の膿?みたいのが出ている。
多分膣炎だろうと思う。
舐めてしまうので、オムツをする事に。

昼食 ササミを食べるのを拒否。
嫌な予感がする・・・
私からだと入院前から食べない時があったので、そのせいかも?
溶血性貧血の時から私が薬を缶詰とかに含ませて食べさせているので警戒してるのかも?とこの時は思っていた。
無理はせずにそのまま食べさせないでいる。
夕方16時頃、おとやんが帰宅したのでササミを食べさせて貰うと食べてくれた。
やはり警戒心からの拒否?
夕飯 18時30分 おとやんから食べさせて貰いちゃんと食べてくれた。
1日中 嘔吐・下痢なし。

10月20日(退院3日目 急性膵炎8日目)
朝からご飯は一切受け付けない。
自力で水飲みはする。
うんPは普通の固さで若干黄色のうんP
昨日の夕方から若干痛みが出ているのか?
朝、膣炎の膿が出ている。
オムツをして手作りご飯を置いて仕事に出かける。
『お仕事行ってくるから待っててね』とかりんに伝えた。
午後帰宅。
手作りご飯には口をつけていない。
オムツにしっこはしてあったので、自力でトイレに行ったのかも?
夕方から病院に通院。
ご飯を全く食べないと伝える。
体重5.06キロ 体温38.3
ギリギリだけど5キロ切っていなかった事にホッとする。
今日は新しく、消炎剤(エラスポール)を注射。
この注射は最近のヘルニアの治療にも使われていて、ヘルニアでは10回程度注射するそう。
かりんの場合は5回程度?と言われて、痛みが取れて膵炎の炎症が抑えられるならと思いお願いした。
うんPは白くなければ大丈夫との事。
膵炎で白っぽいうんPだとマズイらしい。
家に帰ってから、エラスポールの効き目があったのか?夕飯は少し食べてくれた。
嘔吐下痢なし。
このまま食べてくれる様になればと願う。


10月21日(退院4日目 急性膵炎9日目)
朝からご飯は一切受け付けず・・・
嘔吐下痢なし。
夕方から病院へ
体重4.92キロ
ご飯を食べないので、ミキサーでペースト状にしてシリンジであげる事に。
エラスポールを皮下点滴でして貰い、痛み止めのパッチもして貰う。
今の状態ではDICなどの危険な状態ではないとの事。
かりんの精神的な面を考えて、自宅での療養に。
静脈点滴の事も考えていかないといけないみたい・・・
朝、時間的に病院に預ける事ができないので悩む・・・
家についてすぐはササミボイルを1本食べた。
夕飯からは消化器サポートの缶詰を水を含ませてミキサーしてシリンジで与える。


10月22日(退院5日目 急性膵炎10日目)
朝からシリンジで給餌
8ml~10mlを4回1セットで数回に分けて与える。
手作りご飯2回 消化器サポート2回
排尿・排便問題なし。
嘔吐下痢なし。
何とか自力で食べてくれないか?
こんな時、膵炎だとお肉とか好きだった物があげられなくて悔しい。
フラフラしながらも自力で歩く。
不思議な事にこんなに痩せてきてフラフラしてるのに、ブルブルしても倒れないしふらつかないの。


10月23日(退院6日目 急性膵炎11日目)
朝食 手作り2回 消化器サポート1回
昨日より若干気持ちが上がった気がする?
かりんの体を撫でていると、膿の様な物で毛が固まっているののを発見。
床ずれだ・・・(涙)
お昼12時20分 手作り1回  12時40分 消化器サポート1回  13時 手作り1回
13時50分 手作り1回  15時20分 手作り1回
夕方から病院へ
体重4.86キロ 床ずれの処置。
膿を絞りだして消毒液を注入。
可哀相に痛そうに逃げようとする。もうこれ以上痛い思いはさせたくないけど、頑張って貰う。
床ずれの為、抗生剤の注射1本(これは腎臓にも少し負担があるのでこの1回のみ)
抗生剤の種類を変更。
WBCが3万超え、これは床ずれだけでもこの位の数値になると言われる。
Hct23・・・せっかく30までいっていたのに膵炎のせいで減ってしまった。
まだ、この状況でもDIC・多臓器不全の危険性はないとの事。
病院にダックス11歳の子が膵炎で入院しているとR先生が言ってた。
今日から少しずつ食事を食べさせるとの事。
かりんと違い、元気は出てきているみたい。
私が『かりんは他にも病気があるから仕方ないですね』と思わず言うと、R先生が『他の病気があるから仕方ないでは済ませたくない。』と言ってくれた。
次回、何もなければ日曜日。

家に帰り
18時30分 手作り1回  消化器サポート1回
19時頃、さっき食べた分を吐く・・・
一度にいっぱい食べさせたからかも?
体重減少をくい止めたくて、連続で上げ過ぎだったかも?
21時30分 手作り1回  0時 手作り1回 ミルク1回

10月24日(退院6日目 急性膵炎12日目)
朝食 手作り1回 ミルク2回
グッスリ寝たみたい。オムツに排尿あり。
留守中に嘔吐があると困るので、手作り1回だけにした。
毎日、仕事に行く時は『お仕事行くから絶対に待っててね』とかりんに伝えてから家を出る。

昼食 12時30分 ミルク1回  12時45分 手作り1回  13時 ミルクで薬の投薬
13時50分 消化器サポート1回
帰宅すると水を飲んだのか?窓際のベッドに移動していた。
シリンジで給餌してると拷問してるみたい・・・(涙)
嫌々ながら口の中に入れられたものはゴックンしてくれる。
歯茎が少し白く感じる・・・
今の状態で貧血の治療はできるのだろうか?

日曜日まで通院しなくても良い事だったけど、歯茎の白さが気になり夕方から病院へ。
(この頃、私は病院に行かないと精神的に参っていた。行くとR先生や金曜はA先生に診て貰い全く諦めていない姿勢の先生達に癒される気分になっていた。)

新たな床ずれ発見(涙)
体重4.78キロ 体温38.1
Hct21に下がっていた。ただ、2%下がったのが目視で解る程ではないとA先生。
エラスポール4回目
床ずれがあるので、ステロイドを使いたくないとA先生。
輸血の事も早目に視野に入れて行った方が良いとの事。
貧血の為に造血剤の注射1回目 鉄剤サプリを飲む事に。
今日も床ずれ処置。こんなにも弱っているかりんにこんな力が出るのか?と思うほど痛がって逃げようとする。
可哀相で仕方ない・・・

帰宅後
ミルク1回 手作り1回

18時45分 手作り1回  20時20分 消化器サポート1回  21時ミルクで投薬
23時 消化器サポート1回  23時30分 ミルク1回
痛みがなくなってきたのか?丸くなって寝なくなった。

かりんの我が儘やおねだりの声、文句を言う声が聞きたい。
元気なかりんに返して!!

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今日、かりんは無事に旅立ちました。
かりんが命がけで産んで育てたミニかりん全員に見送られながら…
もなママには苺のショートケーキを入れて貰ったね。
せりかママにも可愛いお花を入れて貰いました。
皆さんから頂いたお花を少しずつ、頂いたオヤツ、家族写真、仲良しさんとの整列写真、子供達との整列写真、ボールはかりんが遊んでいた物を全て、腎不全の発覚以来あげなくなったパンやワッフルも入れました。

亡くなった夜に早く生まれ変わって戻って来てくれる手続きはどうしたらいいんだろう?とおとやんと言っていたら、タイムリーにアンチョビママさんが教えてくれました。
家族写真を入れたのは、私達飼い主の写真を見せてここに戻りたいと言ってもらう為。
ギリギリまでずっとかりんに伝えてました。
大きな声はお得意だから言えるね!
もう一度かりんには飼い主に選んで欲しい。


もなママ、せりかママにも一緒にお骨拾いもしてくれてかりんも嬉しかったね。
火葬後は皆で雑談し、笑いもいっぱいあったけど、車に乗り助手席の私の膝がかりんの特等席だったので、何時ものように出来ないことが現実なんだと思い知らされました。
これから、かりんの居ない現実を思い知らされるんだろうねm(_ _)m

こんなに早く逝くと思っていなかったので心が全くついていきません。
色々な後悔があり、かりんに申し訳なくてずっと謝ってました。
もっとあの時に違う方法を選択していればかりんは生きれたかもしれないとか…その他にも色々です。後悔だらけです。

まだ、病院に点滴で預けているような気分になります。

今日、最後まで前足の肉球の感触を忘れないように触ってました。
体があるとまだ何とかしたら動くんじゃないか?と思ってしまうので、その点は骨になる事で諦めがついたのかもしれません。

昨日も母から電話がありました。
普段からベタベタな母子関係ではないけど、精神的に崩壊しそうな時間もあったので、こういう時に感が働くのはやはり母親なんだと思いました。
昔も同じ様な場面があったなぁ〜

まだまだかりんが亡くなった現実を受け入れられずに居ます。
せっかくのお悔やみのお返事はもう少しお時間下さい。
申し訳ありませんm(_ _)m



皆さんの有難い言葉や慰めに助けられてます。
本当にありがとうございました。

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*script by KT*
2014.11.3 かりん
14歳3カ月4日で永眠。
2014年5月から腎不全・9月から
甲状腺機能低下症・溶血性貧血・
急性膵炎と連続で襲われ、懸命に
闘いましたが残念ながら
お空にお引っ越ししました。


2016.1.20 せいん
13歳9ヵ月3日で永眠
2006にリウマチ発症
リウマチになって約10年
いっぱい頑張ってお空にお引越ししました


2017.7.18 かのん
15歳3ヵ月1日で永眠
腎不全・膵炎・甲状腺機能低下症他を
コントロールしていたところ、
皮膚型リンパ腫を発症しあっという間に
お空にお引越ししました。


2017.12.16 しおん
15歳8ヵ月で永眠
急激な悪化・展開で闘病12日間という
短期間であっという間にお空にお引越ししました。
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